「いつお迎えが来ても悔いはない」と主張する者には、自他ともに認める「好き勝手に生きた人」が少なくない。しかも、高齢になってからの主張だったりすると、そりゃあそんな年齢まで好き勝手に生きたという実感があるのなら、悔いなんてないのだろうと思う。
しかし、本当に好き勝手に生きてきたのならば、周囲に多大な迷惑もかけてきたのではないかと推察できる。「被害者」と言って良い者たちが多く存在するかもしれない。そういった者たちへの禊も済ませたうえで「悔いはない」と語っている話は、あまり聞いた覚えがないし、聞いた覚えがあっても「本当に全ての禊は済んだのか?」と疑問が生じる。少なくとも、自分が傷つけてしまった者がまだいるかもしれないと想像できていれば、「悔いはない」などと言うことはできないだろう。
もっとも、「悔いがない」というのは、あくまで本人の感覚ではあるから、無神経ではあっても気持ちに偽りはないのかもしれない。正直ではあるが同時に無神経。だが、そうだとしても、好き勝手に生きただけで「悔いのない人生」と言えてしまうのは、犯した罪への禊といった点を抜きにしても納得し難いものに思える。ただの高望みを褒めるつもりなどないが、成し遂げられなかった願いが一つもないというのなら、それは単に志が低すぎただけの可能性の方が高いのではないか。地球以外の星に移り住みたいとか、ケネディ暗殺の真実を知りたいとか、そういった類の夢や願いすら残っていないのだろうか。もっと下衆な欲望だけに絞ったとしても、そう簡単に味わい尽くせるものではないと思うのだが、それすら思いつかないというのなら、知識も想像力も貧しいだけではないのか。
つい先日、地元新聞の編集余録欄に「いつお迎えが来ても悔いはない」と記した79歳になる歌人がいたが、書かれていることの大半が「ばか酒を飲んだ」という話で、それで悔いがないと思えるのなら、確かに偉大な学者や芸術家等が思い残したであろう望みとは無縁なのだろうと思った。ひょっとしたら、持つべき罪の意識の多くもばか酒によって洗い流してしまったのだろうか。存在するかもしれない被害者を想像できるのならば、人生に悔いの一つや二つ、意図的にでも残しておいた方が良いのかもしれない。
![座頭市 [Blu-ray] 座頭市 [Blu-ray]](https://m.media-amazon.com/images/I/41i+OI1Vl5L._SL500_.jpg)