希望の振りのオールド・ワンダーランド

 老齢と言って良いであろう世代による未来を憂う文章を幾つか立て続けに目にした。大半は新聞の余録欄や投書欄で、孫世代が迎えるであろう未来に明るい見立てが出来ないことを嘆くものである。明るいか否か以前に、未来自体が存在してくれるのかどうかを危ぶむ声もあり、自分たちは充分に生きたから良いが孫たちはどうなってしまうのかと心配する者もいる。確かに明るい未来を想像できるような情勢ではないだろう。

 では、若い世代の未来を憂いてくれている方々は、具体的に何をしてくれているのだろう。もちろん、高齢ではないが若いとも言えない年齢となった私を救ってくれとは言わない。いや、救ってくれるのなら救って欲しいものだが、優先順位が低いことは理解している。孫やひ孫世代の未来を少しでも明るくするために実践してくれているのは、どんなことなのだろう。

 テロリズムを肯定する気はないが、ふと「老人」「テロ」といった言葉を並べて検索してみる。既知のものも含め、様々な創作物のタイトルが目に飛び込む。だが、実際に若い世代のために自らの命を犠牲にして権力側/抑圧者側に一矢報いたというような話は見つけにくい。むしろ、テロというわけではないのに、高齢ドライバーの起こした事故で若い世代が犠牲になった話が挙がってきてしまうほどだ。

 往々にして未来を憂う声の結論は、今はただ自分のやるべき事に専念するだけという諦念を悟りに見せかけたような言葉に落ち着く。確かに、テロリズムほど極端ではなくとも、少しでも攻撃性が感じられるような言動は、かえって逆効果となりがちなので、そんな結論となるのも仕方がないとは思う。だが、充分に生きたと言いつつも、その先の覚悟までは持ってくれないのだなとも感じてしまう。もちろん、これもまた仕方のないことだとは思う。ただし、未来を憂うことが自己陶酔になっていなければの話だが。