僕の見た平成くんは病院のTVの中

 昭和から平成に替わる瞬間は病弱なお子様だったがゆえに入院中だった私であるが、今のところの健康状態であれば、令和へと替わる瞬間を病院のベッドで見知らぬ天井を眺める必要はなさそうである。しかし、大きな環境の変化や世の中が祭りごとのように賑やかになっていく雰囲気というものは、少しずつ、しかし確実に私の精神を蝕んでいるようで、季節柄というだけではなさそうな微細な体調不良がちらちらと顔を出しはじめてもいる。幼稚園や学校よりは病院のほうが居心地が良かったが、さすがに自室より病院のほうが居心地が良いと思ったことはないので、せめてベッドに横になっているのだとしても、自室で見知った天井を眺めるだけにしておきたい。

 私が二十歳になった時、同じ病院に祖父も入院することになったのだが、御見舞いに行った際は各ベッドに小さなテレビが備え付けられていたのだけれど、私が病弱なお子様だった頃はベッドどころか病室にもテレビは備わっておらず、故・小渕元首相が「平成」の文字を掲げた有名な映像も、おそらく初めて見たのはロビーかどこかのテレビだったように思う。もっとも、3歳の誕生日すら迎えていない頃の話なので、さすがにはっきりした記憶があるわけではない。2歳児に元号の話をする物好きな医師や看護師もいなかったはずである(聴診器の片方のイヤピースを紛失した若い先生のことは覚えている。O先生、あの日のイヤピースは見つかりましたか?)。私が気付いたときには、すでに世間は「平成」に慣れはじめていたことだろう。

 時代が平成に替わって一年が経っても、私はまだ病弱なお子様のままで入退院を繰り返し、他の同級生たちよりも幼稚園への入園が遅れた。まだ見ぬ同級生たちより、同じ病室で出会った子供たちや、連日のように報道されていたコンスタンチン君(1990年8月にサハリンの自宅で大火傷を負い、札幌医科大学附属病院に搬送されて一命をとりとめた当時3歳の幼児)のほうが近い存在に感じられた。まあ、後の同級生たちと良い関係が築けたかと言えば、あまりそうとは言えない気もするので、そのあたりの感覚は当時から変わっていないのかもしれない。しかし、現在のコンスタンチン君がどうやら妻子と共に元気に暮らしているのに対し、当時ほど病弱ではなくなったものの、今度は精神面に大きな問題を抱えて静養状態にある私が元気に令和を迎えられるのかどうかは甚だ疑わしい。

平成くん、さようなら

平成くん、さようなら

 
僕の見たビートルズはTVの中

僕の見たビートルズはTVの中

 

話を聞かない教師、少なくとも症状は聞いてくれる医師

 私の家と通っていた小学校は距離が近く、周囲も大きな畑ばかりなので見通しも良かった。もしも、もっと家が山の中や麓近くにあり、学校との距離も離れていたのなら、きっと私は熊との遭遇に怯えて登校拒否になっていたことだろう。

 しかし、小学校生活で味わわされたあんなことやこんなことを思い返してみると、いっそ登校拒否になって自宅学習に精を出していたほうが、私の脳も精神も健康に育ったのではないかという気もする。教科書以上の指導力を持った教師なんかそうそういない。つまり、大抵の教科書は教師よりは役に立つのだ。学習の速度を速めることも緩めることも自由自在である。

 人間関係に関しても、基本的に教員と児童/生徒しかいない学校で一日の大半を費やすことが有益とはどうしても思えない。入院経験が比較的多めな私は病院のほうが社交的になれたものだが、学校と病院となら病院のほうが世界は広いと思う。医師や看護師はともかく、患者は年齢も職種も多様である(子供は小児科で括られがちだけれど)。それに、米の食事でも牛乳を強要されがちな学校給食よりも、病院の食事のほうが私は好きだった。人望のない私がいくら主張しても説得力に欠けるし、医療従事者の負担が増してしまうというような問題もあるだろうが、3歳~5歳くらいの間に必ず二度以上の入院を経験することを義務化してみたらどうだろう。もっとも、効果があったのだとしても、その後の義務教育生活で性根を捻じ曲げられてしまったら意味はないのだが。

東の空が燃えていて選挙権もまだ持たされていなかった頃の話

 全校児童が30名程度の小学校でも、いちおう児童会というものは存在して、会長や副会長を選ぶための選挙も行われた。その気になれば全児童の筆跡すら記憶できそうな規模の選挙であるが、ごっこ遊びのようなものとは言え、正式な選挙権どころか生命を授かってから10年に満たない段階でも形だけの選挙を経験することができた。

 もっとも、その経験がどれだけ役に立っているのかは、実際に選挙権を得た今なお疑わしいところなのだけれど、選挙どころか児童会というものさえ組織しようのないほど児童数の少ない学校で育った場合、中学校に入るまでは学校内での選挙さえ経験することがないのだろうか。そういった学校での詳しいカリキュラムは知らないのだが、学校の中での選挙を未体験であることが大きなハンデとなったなどという話は聞いたことがないので、なにかしら埋め合わせ的な学習方法があるのかもしれない。もしくは、やはりごっこ遊びの延長のような選挙など経験しようがしまいが大した影響はないということなのだろうか。

 ただし、そんなごっこ遊び的な選挙でも、落選すると泣く者もいるのだということを知ることはできた。候補者2名の副会長選で敗れたルーザーベルト君(仮名)の話である。大差だったならば相当の悔しさがあったかもしれないが、結果は僅差。泣くほどのことだろうかと感じる人もいるだろうが、色々と察するべき事情があった。

 まず、当選したカッター君(仮名)は推薦だったのに対し、ルーザーベルト君は立候補だったという点。しかも、カッター君は別に慕われていたわけではなく、たまたま役員の立候補者を募る学級会の日、後に立候補することになるルーザーベルト君が風邪で数日間欠席していたうえ、他に誰も立候補者がおらず、誰もいないのはまずいということになって面倒事を押し付けられただけに過ぎない。ルーザーベルト君が立候補すると「立候補者が現れたのだから、自分は降りてもいいじゃないか」とカッター君は主張したのだが、「一度候補に挙がっておいて急に辞退するのは無責任だ」という無責任なことを言う輩が現れた。そんな連中とこれ以上言い争っても話が噛み合うはずもないと感じたのか、カッター君は諦めてそのまま出馬した。

 おそらく「落選するのは自分だろう」とカッター君も思っていたのだろうが、どういうわけか当選したのはカッター君だった。ルーザーベルト君からすれば、やる気のかけらも見受けられない奴に負けてしまったわけで、そりゃあ泣きたくもなるだろう。なにしろ、カッター君も慕われていたわけではなかったが、ルーザーベルト君は輪をかけて人望がなかったということが投票によって明るみになったのだから。

 いちおうは選挙という公正とされる営みの結果なので、ルーザーベルト君は泣きはしたものの厳粛に受け止めたようだった。少なくとも、自分に投票しなかった者を探し出して血祭りにあげたなんて話は聞かなかったし、成長したルーザーベルト君が人の道を外れたという噂も私の耳には届いていない。どちらかと言えば、勝者であるはずのカッター君の人格がよりねじ曲がってしまったのではないかという指摘が多い。回避できるものなら回避しておいたほうが良かった選挙ではないかと今では思う。

候補者ビル・マッケイ [DVD]

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桜を赤く染める季節

 例年通り、鼻血の出やすい時期になった。花粉やら砂埃やら黄砂やらで鼻の粘膜が傷つきやすくなるからだろう。起床→歯磨き→洗顔→鼻血→止血→朝食→食休み→歯磨き→シャワー→鼻血→止血……というように、朝の身支度の間に2度も出血することもあり、止血の時間をあらかじめ確保しておくために少し早めに起床したり、行動を急いだりせねばならず、無用なストレスを生じさせてしまう季節でもある。春なんざ、まったく良いものではない。

 幼少期より鼻の粘膜が弱かったようで(弱いのは鼻の粘膜に限った話ではないが)、しょっちゅう鼻血が出た。ポケットティッシュの所持を忘れたことがないのは、忍び寄る鼻血の恐怖に苛まれ続けているからでもある。ティッシュを常備しておくなどという考えが脳の片隅にも存在していなかったであろう、ちびっこ時代の同級生たちから「淫らな妄想に耽っているからだ」的なからかいを受けること数知れず。このような連中は、義務教育の終盤どころか高校生へと成長しても、同じように「鼻血=淫らな妄想」という偏見に囚われたままの者が少なくなく、こいつらの脳のほうがよほど桃色に染まっている気がするのだが、桃色に染まった脳味噌であるがゆえに鼻血を出しただけの者を「淫らな妄想に耽った愚か者」と判断するらしく、そのたびに私の脳内は桃色ではなく真っ赤に染まった。私が耽った妄想は淫らなものではなく、そういった連中を鮮血に染める憎悪に満ちたものである。

 脳味噌が桃色に染まりきった連中には何を言っても無駄であり、「これは透明な軟体人間からおともだちパンチをくらっただけだ」などと弁明しようものなら、余計に馬鹿にされるだけである。それは、貴重な血液を鼻から流出させてしまって多少思考の鈍った状態の私でも理解できた。ゆえに、常にやり過ごしてきたわけだが、あの頃に積み重ねたストレスも、現在の私が精神面の不調によって長い静養生活を余儀なくされていることの遠因となっているはずなので、それなりの謝罪と賠償金を請求しても許されるのではないかと思うのだけれど、実際に請求すればまた馬鹿にされるだけであろうことは、精神面の不調が続く私にも理解できることなので泣き寝入りするほかあるまい。

 少なくとも、静養中の現在の私の周囲には、身支度の間に2度も鼻血を出そうと「淫らな妄想に耽った愚か者」と馬鹿にしてくる連中は存在しない。鼻血自体へのストレスは存在したままだが、あやつらに取り囲まれていた時代よりはましなのである。

ジョギングおじさんの健康を考える会

 久しぶりの積雪。虫と同じで雪がなくなると、やかましいエンジン音を轟かせる田舎特有のバカ車乗りが現れはじめ、すでに2月の下旬あたりから特に害の大きい者がこちらの静養などお構いなしに遠くからもよく聞こえる頭の悪い轟音を響かせたりしていたのだが、これで数日くらいはあの害虫どももおとなしくなるだろう。いっそ滑って大怪我でもして、一生車なんぞ運転できない身体になってしまえばいいとさえ思うのだが、都合よく連中だけが被害を被るようなアクシデントというのはなかなか起きず、大抵は無関係な人や建物まで破壊され、最悪の場合だと被害が大きいのは関係ない者ばかりで、当のバカ共は無傷なんてことにもなりかねず、いくら腹立たしい存在とはいえ、本気で事故を願ったりしてはいけない。一時の感情の爆発だけでおさめるべきである。

 そんな害虫車乗りでさえおとなしくなる積雪という自然現象のなか、家に居場所がないのか知らんが、大きな畑の多い土地ゆえに家と家の距離が遠く、近い順番に家を4軒ほど回るだけでも大変な走行距離になってしまうこの地域の住民のほぼ全員が目撃しているジョギングおじさんは今日も元気(そうにはあまり見えないのだが、それはいつものことである)に我が家の窓から見える景色の中にも紛れ込んできており、やはり馴染みのじっちゃんが言っているように「ゆるやかな自殺」なのではないかと不安にもなる。住民のほぼ全員が目撃しているにもかかわらず、誰一人としてジョギングおじさんの素性は知らない(どうやら隣町に住んでいるらしい、というくらいしか情報が届いてこない)うえ、あまり愛想の良い感じでもないため、誰も話しかけられずにいる。まあ、話しかけることが出来たとしても、ここら一帯の住民が内心感じている不安を伝える勇気などないだろう。

 目立ちたいのだったら、あの害虫たちも雪の中を薄着でジョギングすれば良い。ガソリン代もかからないし、他人を轢き殺す心配もない。心配すべきなのは自分の身体だけ。安く安全に目立つことのできる良い方法だと思うのだけれどね。

ニセ名言創作活動第1期まとめ

 「名言は好きです。でも、名言を言おうとする人は嫌いです」(タモリ

 

 1月中旬あたりからツイッターでひっそりと続けていたニセ名言創作活動。毎日考えるのは、なかなか大変でしたが、なんとか1クール約3か月はやり遂げたので、とりあえずここにまとめておきます(たまにリツイートしてくれたり、いいねを押してくれた方がいました。創作名言であることに気付いていてくれたかどうかはわかりませんが)。

 

 

 

     架空の海外の偉人・著名人による(ニセ)名言

 

「出来ないことは証明もできない。ゆえに出来ることにしたがる者の声はいつも大きい」

――セキヴンティヌス2世(B.C.190~B.C.113)

 

「過去を忘れることができればたしかに楽だろう。関わってきた全ての人々の許しを得ることができればの話だが」

――スウィフティン・バトー(1126年~1198年)

 

「苦労を強いるのが無能な働き者の病癖であり、彼らに必要なのは更なる苦労ではなく永遠の安らぎである」

――アントニー・アーリントン(1632年~1698年)

 

「“まっすぐな瞳”“澄んだ瞳”“自信に溢れた瞳”……おおむね無知の証拠です」

――アンナ・マッテゾン(1685年~1743年)

 

「死の覚悟がなければ眠ることなどできないはずなのに眠くなってしまうのは何故なのだろう」

――ジェンナーロ・スカルラッティ(1685年~1757年)

 

「常に明晰であることほど苦しいものはない。その苦しみから逃れるために意味のない苦労を呼び込んで我を忘れようとする者も多い。しかし、それは愚者の選択である」

――イシドール・アネゴサンデリ(1699年~1760年)

 

「馬鹿は好みに囚われる。賢者は好みを疑う。奇人は好みを振り回す」

――アンリ・デュルムケーム(1753年~1823年)

 

「正直者は約束などしない」

――王張庸(1766年~1834年

 

「大勢が一人を取り込もうとするのは一人に敗北するのが怖くてたまらないからである。ゆえにその一人の意見が正しいかどうかまで考えているのは、大勢の中のせいぜい二、三人でしかない。そして、その二、三人が新たな一人となる」

――マーカス・シルバーストン(1788年~1860年

 

「苦しみに意味を求めたがる者の言葉を真に受けてわざわざ苦しむ必要などない」

――テオドール・シャリクウォー(1795年~1821年)

 

「芸術家とは自分が哲学者であると信じたがる者のことだ」

――ジョン・ブルックス(1799年~1850年

 

「私はあなたが嫌いです。私はあなたのことが好きな人間も嫌いです。あなたは自分のことがお好きなようなので、私はあなたのことが倍嫌いです」

――クララ・モンテス(1819年~1896年)

 

「あらゆる宗教が様々に善悪の基準を設けるのは、人の力では基準など設けようがないからです。ゆえに、善だ悪だと簡単に口にする者は、すべての神を冒涜しているようなものなのです」

――クレマンス・オコラン(1835年~1921年

 

「もちろん、そう思うのは君だけではない。だからといって、それは正しさの証明じゃないことくらいは理解しておけ」

――サン=ザーンス(1840年1920年

 

「自覚的な努力はあなたが思っている以上に多くの他人を不幸にします」

――マイケル・ボーンハット(1866年~1925年)

 

「悪意や敵意に救われることもある。その場合、礼を言うのは失礼にあたる」

――アウグスト・マニングス(1878年~1942年)

 

「体験して理解できた者は学習の方法によっては体験せずとも理解し得た者である」

――ゲルト・フォン・ケクレ(1879年~1955年)

 

「危険なのは体験することで理解できたと思い込んでしまった者たちだ。彼らは体験しなければ理解できないと考えたがるようになる。そもそも理解できてさえいないのに」

――ゲルト・フォン・ケクレ(1879年~1955年)

 

「食器にも味覚があれば良い。そうであれば、私が料理する限り彼らが割れることはないだろう」

――ルイ=クロード・シヴィン(1887年~1956年)

 

「言い訳しないのは立派ですが言い訳が思いつかないのならただの無能です」

――ヴェラ・アルンシュタイン(1889年~1947年)

 

「他人の気持ちなど分からなくて当然だ。問題は、他人の気持ちを推察するのに充分な知識や経験を持っていないことだ」

――リンカヴィッチ・チョモスキー(1896年~1977年)

 

「悪が破滅を招くわけではない。破滅を招くのは無知である」

――ベルナルド・マクストーン(1898年~1989年)

 

「たしかに歩めば道が出来るでしょう。草木の居場所を奪うことになりますが」

――エイドリアン・ブラック(1899年~1970年)

 

「友人とは裏切らない者ではなく、時に裏切られたとしても憎めない者のことを言う」

――ガート・スウェルソン(1901年~1974年)

 

「賢い者でも間違いは犯す。だが、間違った言い訳をすることはない」

――ヘルベルト・ベッテルハイム(1903年~1990年)

 

「人間は楽をしたがる生き物だと肝に銘じておくべきだと思っていたが、それすらも楽をしたがった結果なのかもしれない」

――エドゥアルド・ベンザッティ(1907年~1981年)

 

「これだけ沢山の悲劇が歴史に刻まれていながら、いまだに逆境を味わわなければ幸福を感じられないと考えるのは、あまりにも愚かです」

――エルンスト・ヒルシュビーゲル(1915年~1997年)

 

「諦めずにいられるのは、おそらく生きている間だけだ。仮に死してなお諦めないことが可能だとしても、さすがに大半の者が諦めることに寛容になるだろう」

――モーガン・バランゾ(1915年~1980年)

 

「独り言にしては詩神の欠片も見受けられず、会話にしては伝える気のない言葉ばかりの相手には感銘を与える気にもなりません」

――マヤ・ハイレン(1916年~1971年)

 

「逆境で力を発揮しても、それはあなたが怠け者であることの証明でしかありません」

――キャロル・ギレンバーグ(1930年~1987年)

 

「無知や鈍感は強さに似た衣をまとって現れる」

――ノーマン・レナード・リトルトン(1935年~2003年)

 

「名言と呼ばれるもののなかには、すでに期限切れのものがたくさんある。もっとも、それらはそもそも名言ではなかっただけかもしれないが」

――マック・ラーケン(1940年~)

 

「両利きになった理由? 利き腕の傲慢な態度が許せなくなったからだよ」

――リチャード・ワッツ(1940年~)

 

「優れたアスリートとは筋肉に脳が宿っているかのような者のことであって、脳味噌が筋肉なのは二流どころか迷惑なだけだ」

――ロバート・ウォルター・アッシュ(1940年~1990年)

 

「私の映画を誠実な作品だと評した者がいたが、何が誠実なのかわかった気でいる者にそう評されたということは失敗作だったということだよ」

――ベルトウォーク・タベルユデ(1941年~)

 

「時代が私に追いついたのではなく、時代が私の位置まで下がったのだ」

――ワイズ・イエローバード(1941年~1989年)

 

「悪気がなかったということは、つまり頭が悪かったのですね」

――スーザン・ウィーバー(1942年~2008年)

 

「ネガティブな感情は捨てるべきだが、ネガティブな感情にさせる側の罪が消えるわけではない」

――ウィリアム・キートン(1943年~)

 

「お前の周りには良い奴しかいなかったんだろうな。お前が今日まで生きてこれたのがその証拠だ。今日までは、だけどな」

――ダグラス・ボルトン(1945年~1977年)

 

「“叶わない夢はない”なんて言葉が嘘だと全人類に思い知らせるのが俺の夢だ」

――マルコム・グリーンJr.(1946年~1989年)

 

「あなたの朝食のメニューを教えてちょうだい。あなたが臓物を晒すべき理由を20個見つけてあげる」

――メアリー・アン・ルーカス(1957年~)

 

「空を目指したクラゲがいました。彼らは今、UFOと呼ばれています」

――ユーコトス・ベテデ・マデス(?~1999年)

 

 

 

     架空の国内の偉人・著名人による(ニセ)名言

 

「感情のみによって導き出された答えで良い結果をもたらすには運を味方につける他ない」

――有澤菱明(1867年~1916年)

 

「そもそも頑張らなければいけない状態は不幸だ」

――柿木坂潤市(1913年~1973年)

 

「子供が我儘なのはその時のその気分がもう二度と訪れないことを知っているからだ」

――中岡惣三郎(1915年~1983年)

 

「“努力が足りない”以外の言葉を見つける努力をしていない者の言葉など聞く必要はない」

――汲沢瞬(1918年~1997年)

 

「人生は何にでも例えられます。だから、人生を何かに例えた言葉など気にする必要はありません」

――三代目浮世亭流楽(1922年~2007年)

 

「豆腐が包丁を受け入れるようでなければならない」

――水沢仁三郎(1923年~1997年)

 

「火のない所に煙は立たぬという言葉を好む者の半数以上は放火魔である」

――李沢友哉(1931年~2008年)

 

「共感するより驚嘆しなさい」

――神野盛尊(1943年~1971年)

 

「私が聴きたいのは音楽であって、あなたの恋愛遍歴ではありません」

――浜野昌士(1956年~2006年)

 

「言い訳の内容でだいたいの賢さが計れるはずです」

――波多野峰世(1957年~)

 

「教科書は少なくとも目の前の教師よりは役に立つ」

――新野陽一郎(1966年~)

 

 

 

     架空の創作物からの(ニセ)名言

 

「木の葉を武器に勝利を収めることも可能だ。しかし、それには木の葉だけで勝利を収めるための知恵が必要だ。結局、木の葉だけで勝つことなどできない」

――アミノサンデル・デマ『葉っぱ六銃士』より

 

「あなたが自慢げに紹介してくる“本物”とやらより、愉快な偽物のほうが私は好き」

――アリシア・バーンステイン『なまぬるい言葉とメロディで大人の音楽と評される方法』より

 

「作られた道は整備したくなるが自然に出来た道は放っておいても平気だ」

――ヴィットリオ・タヴィアルキ『しゃがんで感じるキンバリー卿の生涯と資産』より

 

玉座の上で焼くサニーサイドエッグも君たちの戦争で失われてしまったな」

――サー・グレアム・スコット著『バーバンカー』第3章「ピクルスを持ったまま溺れる兵隊への対処法」より

 

「私の罪は彼を亡き者にしたことではなく、彼を亡き者にすることが罪になる世界に生まれたことだ」

――ドメニコ・デル・オルガンティノ『もずく兵士』より

 

「次はもっと賢い人間に生まれたい、と彼は言った。それよりも賢い人間の多い世界に生まべきだ、と私は言った。」

――ブライアン・スターキー『ザルトボルトに紅茶を2杯』より

 

「そろそろ諦めないと次の試合ボロボロだよ」

――阿野下梅彦『スランプ脱出 第69話「ういっす」』より

 

「馬鹿にしてるのか?」 「やっと気づいたのか?」

――久米流充『ボケた振りしてメシを2度喰う』より

 

「あの日考えた他人の未来を僕達はやはり忘れている」

――山中ハジメ『詩集 ぼくはすぐひとをころしちゃうよ』より

 

 

 

     架空の楽曲の歌詞からの(ニセ)名言

 

「彼はなすがままに主義 悲しいくらいに自然が好き いつでも害虫がたかってる それがどうした? でも近づけないよ 彼はなすがままに主義 迷惑なくらいの無添加紳士 幸い流通しないから どうでもいいよ」

――シルヴァン・サルトブール「無添加紳士」より

 

「僕の家ではブランチにお寿司が出てくる 日本かぶれのママに感謝 健康志向のパパにも感謝 でも日本人はこんなの食べてないんじゃない? だってみんな休みなく働いているんでしょ?」

――スーパーヒラリー「ブランチ・イン・ジャポニカ」より

 

「大統領の椅子も俺が直した カーターのスーツも俺が仕立てた 脚は決して長くはない いつか全米の仕事を独占してやる」

――デッド・トルーマンズ「カリフォルニアの便利屋」より

 

「俺はちりちり髪の男になった夢を見た 類まれなちりちり具合だ 親父が泣いて言うことには いくら洗ってもハエが絡まりやすいからといって洗髪を放棄するんじゃないぞってね」

――フランク・O・ザッパ「お前の髪に絡まったハエ」より

 

「前時代的電波印 罵倒するしか能がない 古い邦画のバカ覚え かわしまゆーぞー、かとうたい アルゼンチンの赤いバカ」

――いまむらしょうへい(バンド名)「アルゼンチンの赤いバカ」より

 

「湿り狭い押入の臭み深い蒲団にくるまれズルズルと餅を啜り萎縮した父の脳曝け出さんことを…」

――スシネタ「爺ちゃんのアピャーが轟く」より

 

「テレポーテーションなんてどんと来いだ 瞬きの間に別の場所にいたってどんと来いだ いつだってそこが最悪だ どんと来いだ どんと来いだ」

――中山醜痴婦と新鮮なテレポーテーションズ「テレポーテーションなんてどんと来いだ」より

 

「マイハニーエンジェル、寝癖のついた翼が素敵だね 仰向けに寝れないからってフリードリンクなカクテルとギターをいじって撫でるの?」

――村岡マスユキ「天使にこっそり」より

 

「死にたくないから働きたい でも死ぬのがこわくて働けない」

――留年詩人K「散」より

 

 

 

 

 

 第1期はこれで終了。1、2クール休んで再び始めるかもしれない。

教科書は少なくとも目の前の教師よりは役に立つ

 中学や高校の卒業文集などに「キャラの濃いクラスでした」などと書きたがる者は私の通っていた学校でも多くいて、おおむね傍から見ればうすら寒くすら感じる内輪ノリといったもので、「それは卒業して広い社会に出た後でも言えることなのか?」なんて指摘さえも言い尽くされて手垢も溜まりきっている気がする。15年から18年ほどの期間を、ほぼ家庭と学校という狭い世界で生きてくれば、そんな思い込みも仕方ないのかもしれない。

 問題は生徒だけでなく教師にも同じようなことを書きたがる者が存在することで、ちょっとしたリップサービスみたいなものなのかもしれないが、本気でそう思い込んでしまうほど「先生」と呼ばれる人たちの世界が狭いのだとしたら、それはそれはおぞましい限りである。中学くらいの頃から気にはなっていて、検証してみたい願望もあったのだが、いかんせん自分の受け持ったクラスを「キャラが濃い」などと公言してしまうような教師とは談話したいとも思えず、「この程度の人間の集まりでキャラが濃いと思えてしまうのは、あなたの生きてきた世界が狭いからですか?」という質問を投げかけることのできた相手はいない(そんな質問をしていたら、私の人生に余計なトラブルが生じていた可能性もあるので、結果的には良いことだったのだろう)。

 私がこれまでに出会ってきた先生たちのなかには、すでに退職された方も多い。勝手な憶測だが、妙に大袈裟なことを言いたがっていた者ほど教え子のことはあまり覚えていないような気がする。先述の通り、私は大袈裟な話をしたがる教師とは距離を置いていたので、そういった教師たちが私のことを覚えている可能性も低いだろう。距離を置いていたせいでかえって記憶に残ってしまっていたら嫌だけれど。