これまでの「真子晃一先生」の話をしよう

 真子晃一君、改め真子晃一先生。彼と私は、日本映画学校(現・日本映画大学)の同期生である。

 彼と私が在籍した第2○期生(プライバシー配慮)は、映画学校史に燦然と輝く「不毛の代」と呼ばれる世代で、才能的にも人間性的にも、あまり評判が良くない。私などは、おそらく、その典型例だったのだろう(ちなみに、創立者である今村昌平と直接会うことのなかった初めての代でもある)。同期生の目立った活躍というのも、あまり聞こえてこない。もっとも、私に伝わっていないだけかもしれないが。

 そんな中、真子晃一先生(ひとつ年上なので、「先に生まれた」という単純な意味でも「先生」である)は、卒業後、割と早いうちからラジオドラマの脚本などを手がけ、この度、ついにオーバーラップ文庫から『コズミックアライブ』という作品で小説家デビューを果たすこととなった。

 クリエイターとしての真子晃一先生への評価は、映画学校時代どのようなものだったろう。過去においても現在においても、私なんぞの意見では、褒めようが貶そうが説得力がほぼ皆無なので、その他の学生や講師陣の評価を思い出してみようというわけである。そうすると、彼が卒業時に優秀な学生(優秀学生賞だとか、そんな名前があったような気がするが、詳しいことは忘れた)に選ばれていたことが思い出される。担当講師が彼のシナリオを読んで、こっそり泣いたなんて話もあった気がする(私は、笑われたことはあっても、泣かせたことはない。今後、誰かを泣かせることがあるとしたら、たぶん親だろう。息子の情けなさゆえに)。不毛の代が嘘のような好評価である。

 しかしながら、恵まれた才能を持つ者は、往々にして性格破綻者である。特に恵まれた才能を持っているわけでもないのに性格が破綻している、北国の隅っこ在住のもやし妖怪みたいな者もいるが、偉大な芸術家/エンターテイナーの多くが奇人であるというのは、俗説として切り捨てるのは少々難しいほど実例に溢れている。

 だが、真子晃一先生は、人間的にも大変よくできた方である。具体的に言えば、特に恵まれた才能を持っているわけでもないのに性格が破綻している私のような人間を、一晩部屋に泊めてくれるほどの寛大なお方である(神奈川から地元・北海道に戻る際、部屋を引き払った後、飛行機に乗るまでの一晩を明かすための宿が見つからなかった私を救ってくれた)。これは、並大抵の心の広さで出来ることではない。モンティ・パイソン以上の度を越した寛容な精神の持ち主である。もう、いっそ、そんなことをしてしまうこと自体が奇人の証になり得るほどの聖人ぶりである。私なら私なんぞを部屋に泊めるなんて危険なことはしない。少なくとも、金目のものは全て目につかない場所に厳重に隠す。それに、その一晩は仮に何事もなかったとしても、私のような者を泊めたということ事実そのものが、その後の世間体に関わる。

 私を一晩部屋に泊めるということが、どれだけ大変なことなのか、私は重々承知していたため、彼には数冊の本や食用油、エアコンクリーナーなどを謝礼として献上した。これもまた、傍から見れば不用品を押し付けられただけのように思えなくもないだろうが、才能も乏しければ懐事情は更に乏しい私に出来ることはそれくらいであり、その辺に転がっている「かわったかたちの石」でなかっただけでも褒めてやるべきである。そして、そんな「かわったかたちの石」よりはちょっとだけ献上品らしい献上品(実質的には不用品)を嫌な顔せず受け取ってくれた真子晃一先生は、やはり偉大なお方だとここに記しておこう。

 そんな、日本映画学校不毛の代に、ほぼ唯一咲いた逸材・真子晃一先生の初小説作品『コズミックアライブ』は、先述の通りオーバーラップ文庫から今年の12月25日に発売される予定である。私のような性格破綻者ではなく、才能あふれる人格者が幸せになる素晴らしき世界を実現する為にも、一人最低2冊は購入すべきである。世界をより良きものにするため、私も微力ながら、こうしてブログやツイッターで宣伝していくつもりである(私のブログを読んでいる人がどれだけいるかは分からないが……)。



 真子晃一先生の初小説作品『コズミックアライブ』の現時点での詳細情報は、以下のURL先の下の方に記されている。チェックすべし ↓
http://blog.over-lap.co.jp/bunko/?p=6545

コズミックアライブ (オーバーラップ文庫)

コズミックアライブ (オーバーラップ文庫)