必要とされていないことを気にしないでいられるほど図太くない

 「聲の形完結記念展 大今良時原画展」グッズの通販開始が4月24日(金)から開始されたので、どうしても欲しかった分だけ注文しておいた。販売期間は2016年01月31日までらしいので少しずつ揃えていこうかと思っている。通販対象グッズは、どれも硝子が素敵なので揃えたくなる。除菌ティッシュ代と殺虫/防虫剤代くらいしか削れる予算がないけれど、今年は少し潔癖度を下げて暮らそう。これで公式サイドに金の入らない活動ばかりしてる奴は〜みたいなことを言われないで済むかしら。(以下、販売サイト)

http://gofa-shop.iy.shopserve.jp/SHOP/26662/112169/list.html

 もっとも、私みたいな奴には「公式サイドに金の入らない活動ばかりする愚かなファン」でいてくれた方が良かったという人もいるかもしれない。仕方のないことだと思いつつも、悔しいので、グッズを揃えるのは、そういった相手へのせめてもの抵抗でもある。

 明るい場所に心置きなく何度も足を運び、その場でグッズを揃えることが出来るような性格だったのなら、きっと『聲の形』にハマることもなかった。『聲の形』を通して「仲間」を沢山作っている人たちは、将也や硝子の葛藤をどんな思いで読んでいたのだろう。みんな、この作品と出会った段階で、すでに復活後の将也のような境地に至っていたのだろうか。私には、まだまだ無理な話だ。

 ところで、作品に対する評価とは別の話だが、将也はまだしも、硝子が終盤のような表情を見せることができるようになるまでの道は、私には、あまりに長く理不尽に思える。たしかに物語の結末は「幸せな未来」を予感させるものではあったが、あんな思いをさせられている時点で、「終わりよければすべて良し」とは言えないのである。『聲の形』の締め方を、「結局みんないい人だった」とか「打ち切りのようなハッピーエンド」と捉えるのは、それまで描かれてきた不寛容さや排他性の問題を軽視しすぎだと思う。

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)

聲の形(7)<完> (講談社コミックス)

 有村架純を実写版硝子候補に挙げること自体は、別に良いのだけど、『ビリギャル』の有村架純を見て「硝子役に合いそう」と考えるのは、どうかと思う。それって、硝子が(あまり好ましくないという意味での)ギャルっぽく見えていたってことだろ? 黒髪以外はギャルってことかい? 主題歌候補に西脇唯やら中西保志やらいきものがかりが挙げられていることも含め、一部のファンが口にする演出面の話がことごとく勘弁してほしいセンスで、アニメ映画化に対する不安は大きくなるばかりだ。まあ、他人のセンスをあまり否定しちゃいけないのだろうけれど、このあたりは、どうも私の肌に合わな過ぎて心配になってくる。

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