前提がおかしい人

 ジャパニーズ・ハードコア/ノイズアーティストの偉人(奇人?)・山塚アイ氏が率いたユニット・ハナタラシの映像に対して「歌ってないじゃん」というコメントが書き込まれているのを見たことがある。

 猫の死骸をチェーンソーで切り刻んで客席に投げつけたり、ガソリンをぶちまけ、火炎瓶を投げ込もうとして止められたりしていた山塚アイ氏の音楽活動が多くの人に受け入れられるなどとは、私も当然思っていないし、そもそも、受け入れられているのならハードコアでもアンダーグラウンドでもなんでもない。「なんだこれ?」と感じたり、嫌悪感を抱いたとしても不思議ではない。「ワケわからん」も「こんなの音楽じゃねえ」も当然の反応だと思うし、言葉自体はいけないものではあるが「ただのキ○ガイ」といったような意見が出てくるのも、同意はせずとも理解できなくはない。

 しかし、「歌ってないじゃん」という意見はなんなのだろう。説明文に「ボーカル:山塚アイ」という誤った記述があったわけでもない。世の中には、「音楽が好き」と自称はしていても、歌でなければ楽しめないという人間が存在しているらしいことは知っているけれど(以前、ツイッターでちょっと話題になっていた「音楽を聴く=ボーカルの歌詞だけを聴き取る、という行為でしか音楽を聴けない人」という話にも繋がる)、それにしたって、せいぜい私の中のスノビスト的な血が「レベルの低い音楽鑑賞能力だな」と思う程度である。つまり、「レベル低いな」という見下した態度はとってしまっても、まったく理解できない相手というわけでもない。その人の音楽に関する感度が、たまたまそういうものだったということだ。

 だが、ハナタラシの映像を見て「歌ってないじゃん」というコメントが出てくるというのは、「歌がないと楽しめない」というレベルではなく、「歌のない音楽という存在を知らない」というレベルの話になってきそうだ。たしかに、ハナタラシのような「音楽」は理解しやすいものではない。前述のとおり、「ワケわからん」という反応になるのは仕方ない面もある。現代音楽と呼ばれるものやノイズ音楽などのあまりにアンダーグラウンドな文化に関しては、「そういう世界もある」という知識がないと、なかなか楽しむことはできないのかもしれない(知識があったところで、楽しめるかどうかは別だ)。それにしたって「歌ってないじゃん」というコメントが出てくるのはおかしい。

 こういった「趣味があわない」「思想的に相容れない」という以前の「前提がおかしい人」とは、どう付き合っていくべきなのかとよく考えてしまう。

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