『東京腸女むすび』(7)

 わたしが住まいにしているのは、仰光堂から歩いて十五分ほどの場所にある、二階建てのアパートです。腸の飛び出た女の住処、と書くと、なんだか妖怪みたいでおもしろいかもしれませんね。実際、今のわたしは妖怪みたいなものです。でも、このアパートからは、そんな妖怪じみた怪しさは感じないでしょう。
 近所に住んでいる岡田主任と、一度だけこのアパートの前までいっしょに帰って来たことがあるのですが、「アパートって言うから、もっと古くてあぶなっかしい感じを想像してたよ」と言われました。
 アパートとマンションに明確な定義の差はないようですが、たしかに「アパート」という言葉のほうが、古くてあぶなっかしい印象があるように思います。その印象からすれば、たしかにわたしの住むアパートは、ひょっとしたら「マンション」と呼んだほうが、しっくりくるという人もいるかもしれません。
 ですが、マンションと呼ばれる場合、戸数の多さが肝になっていると聞いたことがあります。わたしの住むアパートは、造りはしっかりしていますし、見た目もきれいです。まるで、わたしの腸のように……と言ってしまうのは、うぬぼれでしょうか、それとも単に管理会社への失礼な言いぐさでしょうか。しかし、戸数は六つなのです。やはり、アパートと呼んだほうが良いのだと思います。
 きゅんきゅんきゅんきゅん。
 お仕事を終えて、お部屋に帰ってくると、腸が喜びだします。
 仰光堂は、ほんとうに良い職場ですけれど、どうしてもお腹から飛び出た腸のことが、なにかの拍子にばれてしまうのでは、という心配を完全に頭から消し去ることはできません。どんなに良い職場でも、多少のストレスは仕方のないことなのでしょう。
 その点、このお部屋は安心です。わたしのお部屋は二階にありますし、鍵も基本的に閉めてあります。昼間でも、レースのカーテンだけは窓を覆ったままにしてあります。
 北海道の多くのアパートは、駅からさほど遠くない場所であっても、東京に比べると、とてもお家賃が安いです。明言は避けますが、このお部屋のお家賃も、東京であれば、ひょっとしたら事故物件を疑われかねないものです。わたしが、もしもここで死んでしまったら、かなり高ランクの事故物件になってしまうでしょうけれどね。
 なにせ、発見された女の腸が飛び出しているのですから。
 そういえば、この北海道でもおそろしい事件は起きています。ある女性が自室で刺し殺されてしまったなんてニュースも聞きました。
 犯人の男は、彼女をつけ狙っていた、いわゆるストーカーのようでした。
 テレビから流れるニュースに、わたしの腸も怯えてしまったのか、びゅるんびゅるんという、珍しい反応を見せていました。
 もし、わたしに同じようなことが起きたらどうしましょう。
「やっぱり、お茶はなかったことに」
 そんなふうに断られた克仁さんの心に、悪魔が生まれてしまったら……。
 うぬぼれるのもいい加減にしろなどと思われてしまっては、たいへん心も腸も痛むので言い訳させてもらいますと、べつにストーカーに狙われることだけを心配しているわけではありません。単純な強盗目的もふくめ、もしもわたしの部屋に何者かが忍び込んで来たら……。
 刺す前から、お腹から腸を飛び出させている女を目の前にしたら……。
 ……。
 大丈夫かもしれません。
 まあ、あまり大きな傷口ではありませんし、飛び出ている腸も一本だけです。しかも、我ながら惚れ惚れしてしまうほど綺麗な子なので、あまりインパクトはないでしょう。念のため、いつでも血糊を吹きかけられるよう準備しておくのが良いかもしれません。
 考えてみると、わたしは本当に殺されたり、どこかで不審死したりするわけにはいきませんね。発見されたわたしの死体は当然、腸が飛び出たままなのですから。
 警察の方は、さぞかしびっくり仰天でしょう。
 いえ、そういう死体を見ることそのものは、警察の方は、慣れることはなかったとしても、しょうがないことではあるのでしょう。しかし、いざ捜査をはじめると、わたしのお腹の傷と飛び出た腸のあまりの謎ぶりに、たいへんな混乱が起きてしまうことでしょう。
 お部屋でも、あまり油断していられませんね。
 くわばらくわばら、です。
 わたしはなんとなく、お月様の方角に向かって手を合わせて、自分のこれからの人生の無事をお祈りしてみました。べつにそういう宗教を信仰しているわけではないのですけれど、お月様が好きなので、本当にただなんとなくです。いつもしているわけではありません。
 花鳥風月の順番に人は年老いていくという話を聞いたことがあります。若いときは花に感動し、老いていくにしたがって鳥、風、月へと進んでいくそうです。花や鳥や風には生まれてこのかた、ほとんど惹かれてこなかったのに、小さい頃からお月様は好きだったわたしは、最初からおばあちゃんみたいなものだったのでしょうか。
 お月様へのお祈りを終えたわたしは、ベッドに仰向けにころがって、今日までのこと、そしてこれからのことを、あれこれ考えてみたりします。これも、日課のようになってしまいました。
 心苦しいことに、仰光堂のみなさんに嘘をついてしまっていることになるのですが、本当は毎日塔子さんのお仕事のお手伝いをしているわけではないので、お部屋に帰ってきたわたしには、特にすることがありません。
 食事が必要ないのですから、そのためのお買い物も不要ですし、お料理どころか電子レンジでチンすら無縁の生活です。備わっていたキッチンも、入居したときのきれいな状態のままです。
 いちおう、冷蔵庫だけは用意しましたが、入っているのは、ミネラルウォーターくらいです。
 暑さも寒さも感じにくくなった身体なので、エアコンも、あまりに湿気がひどいときに除湿をかけるだけ。しかも、東京に比べて、北海道は圧倒的に湿度が低いのです。夏場に雨が続いたときしか、除湿の出番もありません。今日は、あとで少しだけ除湿しておいたほうが良いかもしれませんね。お部屋がカビたりするのは良くありません。
 わたしが生活するうえで、人並みにこなしているのは、お風呂と歯磨きくらいです。これだけは、文明人の義務として、欠かさずにいます。あとは、本を読むか、音楽を聴くか、テレビを観るか、DVDやブルーレイを観るか。
 東京にいた頃のわたしは、サトウさんのお部屋で、たくさんの映画を観させてもらいましたが、今は仕事柄、DVDやブルーレイの発売情報を雑誌などでチェックするだけで、映画そのものを観ることはあまりなくなってしまいました。お部屋で観るDVDやブルーレイは、映画以外の映像作品ばかりです。
 どうしても、サトウさんのことを思い出してしまいますからね。
 腸のことがばれてしまうのでは、という心配事の次に、お仕事のうえでストレスになってしまうのは、映画関連の商品を扱うと、自動的に思い出されてしまうサトウさんとの楽しかった日々のことです。
 サトウさんは、今なにをしているのでしょう。少々、おせっかいな大学時代のお友達が「東京で就職したみたいだよ」と連絡をくれたことがありますけれど、元気でいてくれているのでしょうか。それ以降の情報は、わたしにはまったく分かりません。おせっかいな大学時代のお友達との連絡を、わたしがほぼ絶ってしまっているからなのですけれどね。
 そのお友達に限らず、腸が飛び出てからのわたしは、塔子さんと仰光堂のみなさん以外とは、ほとんど交流を持っていません。
 腸が飛び出てしまっているので、仕方のないことです。もともと、それほど大勢でわいわいやるのが好きだったわけではありませんから、そのことで悲しくなったりはしません。
 悲しくなるのは、やっぱりサトウさんとのことです。
 きゅるきゅるきゅるきゅる。
 サトウさん、ごめんなさい。心にもない理由であなたとお別れしてしまったのに、わたしは今度、克仁さんとお茶をすることになりました。
 恋人がいないと落ち着かない女というわけではないのに、妙なことになってしまったものです。腸が飛び出ていること以上に妙なことなんて、ありませんけれどね。
 やっぱり、他人との交流に飢えているのでしょうか。
 でも、まあ、ただお茶をするだけです。腸の飛び出た女は、サトウさんも含め、どなたとも恋人としてお付き合いすることはできないのです。
 わたしが異性愛であろうと同性愛であろうと、あるいはバイセクシュアルだろうと、それはたぶん変わりません。抱き合うどころか、お腹に触れられることすらできないのですからね。
 さて、そういったことを踏まえたうえで、克仁さんとのお茶の席で、どんなお話をしたら良いのでしょうか。
 困ったものです。
 相談できる人は、やはり彼女しかいませんね。
 きゅんきゅんきゅん。