「死にたくないので生まないでください」

 四月というのは、やけにまっすぐな目をした黒衣の若者たちの姿がそこらじゅうで映し出されていて、静養中の人間にとっては、身体にも心にも毒である。また、そんな若者たちに向けて、心の奥底では自分が立派な人間だと言ってもらいたくてしょうがないくせに、あの手この手でそんな願望を覆い隠そうとしつつ、こんなに自分は頑張ってきたのだから君たちはもっと頑張れなどという結論にしかなっていない無駄な言葉を吐く輩の姿も、また同じようにそこらじゅうで映し出されるので、こちらとしては殺意を抑えるのに余計なエネルギーを消費させられてしまう。

 「“今ならブラックと言われてしまうかもしれませんが……”じゃなくて、単純にあんたの思想がブラックなんだよ!」と言ってやりたいし、実際、新聞のオピニオンのページなんかでそのような言葉が目に入ったとき、私の口からは自然と怒りの言葉が溢れ出していたのだけれど、ナチュラルブラックな方々が静養中の人間の言葉なんか気にするはずもなく、静養中の身で新聞なんぞに目を通そうとした自分が悪いのだと諦めるほかない。

 もっとも、生まれてこのかた、四月という時期にまっすぐな目でいられた試しなんかなく、例外なく不安だらけの状態でどうにかこうにか色々と誤魔化しつつやり過ごしてきたに過ぎない。静養が必要だったのは、おぎゃあと生まれてきた、まさにその瞬間からだったのかもしれない。さすがに初めて外気に晒された時のことは記憶していないが、赤ん坊が泣くのは生まれてくるのが嫌だからだという話には、根拠もなく納得してしまう。

 だからといって、死にたいわけではないというのが厄介なところである。