『この西瓜ころがし野郎』(4)

 皆の足が速まったからといって空山のふもとまでにはまだそれなりの距離があり、ぷくろうちを作るほど容易いものではなく、案の定、ラリゲの奴が軟弱なところを見せはじめ、大量に背負ってきた桃を齧り出したあたりでようやく鐘爺の飼っていた犬の墓が見えてきたので、さすがにここらでひと休みするべきだと和尚も切り出し、犬に失礼のないよう、先にたっぷり息を整えてから墓に手を合わせると、カケイのおやじが今日もまた犬のことを思い出してかすかに涙を見せ、こんなことなら早めに鐘爺の奴から犬を取り上げておくべきだったと和尚も珍しく重い口調で呟き、そう、せめて犬が野良うずみに餌をとられても何の反応も示さなくなる前にどうにかすべきだったのだとカケイのおやじが涙ながらに叫ぶと、そうだそうだと周りも同意し、いったいなぜ鐘爺の奴は老いた犬が餌をとられても反応できないほど弱りきっているとは考えずに、これは犬と野良うずみに微笑ましい交流があってのことなのだなどと言って放置していたのか、いまだに私も鐘爺の思慮の浅さには怖気がはしるところであり、鐘爺に墓が与えられなかったにもかかわらず、鐘爺の飼っていた犬にはこれほど立派な墓が与えられたのも無理もないこと、誰もが鐘爺の底の浅い善意を憎み、その犠牲になった犬を哀れに思ったことのなによりの証拠、犬の墓に手を合わすのにぜえぜえと息切れしているようでは申し訳がたたず、手を合わせるふりをして息を整えるなどもってのほか、しかしながら、もし鐘爺がここにいたならば、何よりもまず手を合わせるべきだなどと抜かすことであろうと思い、私の鐘爺に対する憎悪も再び熱く煮えたぎり、いかんいかん、今は犬を供養するのが先決であると気持ちを整えていると、それを察した和尚がいつもの穏やかな声で犬を弔いはじめ、「憎しみは消えずとも、犬への思いもまた変わらない」と私に微笑んでくれたのは幸いであった。