理由ある反抗

 足を開くのが苦手である。身体の柔軟性が乏しいので、股割りのような準備運動も苦手ではあるのだが、そういう話ではない(柔軟性は高いほうが良い。中国雑技団的にぐにゃぐにゃ動けるようになるのが理想だが、残念ながら天性の素質もなければ、血の滲むような努力を積み重ねることもできそうにない)。私が苦手な「足を開く」は、なんらかの式典などで着席して記念撮影などをする場合、男性は足を開かなければならないというしきたりのことである。普段から椅子に座ると足を閉じているので、写真撮影の際に「美月、足開いて」と義務教育時代の入学式・卒業式などで繰り返し指摘された。男性を足を開いて座らなければいけなくなった理由は知らないが、なぜか私の遺伝子自体が拒絶し続けている。

 以前、ツイッターで電車内で大きく足を開いて座っている男性に対する批判ツイートを目にしたことがある。実際、足を開いて座ることによって、占領する空間が大きくなるのだから、混雑している車内では迷惑このうえないだろう。しかし、これが長年続いている「男は足を開いて座る」という謎のしきたりの結果なのだとすれば、当該男性の無神経さだけを責めるのは少々酷なのかもしれない。そんなしきたりを良しとして続けさせてきてしまった者すべてにある程度の責任が生じる。どうやら私は、この悪しき習慣に幼少期から反抗し続けていたらしい。賛同者は我を褒め称えよ。

 もっとも、私一人の勝手な反抗で世の中が改善されるはずもないので、褒め称えられたくはあるけれども、褒め称えられるべきことかといえば、残念ながら全くそんなことはない。謎のしきたりを何の抵抗もなく受け入れ、我が物顔で座席やベンチの空間を大きく占領する男性陣を目にするたび、その時々の教師や撮影担当者たちからの「美月、足を開け」という命令の声がどこからともなく聞こえてくる。私は今後もその声に反抗し続ける。楽な道ではない。できれば優しい人たちからの応援が欲しい。なので、強制はしないが、やっぱり賛同者は我を褒め称えよ。