『空にかたつむりを見たかい?』 第3回

 そんな『謎の湖底人シタカルト~』を、土佐先生や塔子さんが面白がってくれたのは、まだ理解の範囲内だったのだけれど、僕たちが卒業した後に知悦部小学校に赴任してきた楠本校長までもが気に入ってくれたのは、かなり意外だった。土佐先生と塔子さんからの評価だけでは、僕たちに閉校記念式典の映像制作の依頼がくることはなかっただろう。

 今回の閉校記念式典用映像のオープニングも、土佐先生からDVDを借りて観た『デヴィッド・バーンのトゥルー・ストーリー』のパロディで始まる。監督のデヴィッド・バーン自身が扮する謎の案内人が、テキサス州の架空の町ヴァージルを紹介していくという風変わりな映画で、この映画が制作された一九八六年当時の「変わりゆくアメリカ」を描いたものでもあるらしい。テキサスの歴史書学術書、そして、タブロイド新聞や雑誌から集めた珍妙な話などを基にして構築されたヴァージルの町には、ベッドから出ず、ひたすらテレビを見て過ごす金持ちの女、プレスリーの曲を書き、ランボーケネディと寝たと吹聴するほら吹き女、三年間も子供を通してしか口をきいていない町の実力者夫婦といった奇妙な人々が、郊外の美しい自然の景色と人工的で非現実的な街の景色の中で暮らしていた。デヴィッド・バーンは映画監督ではなくミュージシャンで、、土佐先生の好きなバンド、トーキング・ヘッズのリーダーだ。純粋な映画監督の作品では味わえない不思議な魅力に溢れていて、今では僕のお気に入り映画の筆頭でもある。閉校記念式典の映像制作を決めた時、すぐにこの映画を下敷きにしたいと思った。

 制作体制は、カメラはいつも通りダイチが担当し、僕は構成、そして案内役として出演もすることになった。マリサは、その他諸々の仕事を一任していることになっているけれど、それはあくまで名目上のことであって、それほど本格的な映像ではないので、実際はカメラ一台あれば事足りている。

 僕やダイチと違って、知悦部小学校の卒業生というわけでもないマリサがそれでも参加しているのは、もちろん同級生で唯一の放送委員仲間だということもあるけれど、マリサにはマリサの目的があってのことだった。その目的については後で説明する。

 ここで、改めて閉校記念式典用映像の全体の構成を説明しておこう。まず、先述の通り『トゥルー・ストーリー』を模して、知悦部地区のもっとも象徴的な出入口と言える中磯瀬の町から続く道の画をバックに、この地域と知悦部小学校の歴史を簡単に説明していく。ナレーションは、案内役である僕が務める。説明に沿って、過去の写真や映像をインサートしていき、現在の校舎の画からは、案内役として僕が実際にカメラの前で校舎を背に語る。ちょっと恥ずかしいけれど、こうしないとあの映画のパロディとしては物足りない。

 カメラを前にして、べらべらしゃべっている僕の姿を見て、マリサがなにやらニヤニヤしているのが気になるが、問い詰めたり文句を言ったりできる相手ではないので、我慢するしかない。

 あとは、小学校の関係者や地域の人たちへのインタビューと、これまでの学校行事や地域にまつわるイベントなどの写真や映像を挟み込んでいく。式典では三○分程の長さの映像として公開し、その後、完全版のDVDを式典の様子も含めて記録される予定の記念誌と共に各家庭へ配る予定だ。

 当初、僕とダイチは、この映像制作にそれほど乗り気ではなかった。映像制作自体は好きでやっていることだけれど、閉校記念式典用の映像となると、正直に言って気が重い。現在のPTAの中には、あまり関わりたくない人も何人かいるし、悪いけれど楠本校長からの依頼というだけなら、きっぱり断っていた。土佐先生から「やってみたらどうか」と言われてからも、しばらくは悩んでいた。だけど、マリサが「内申点稼ぎにいいかもしれない」と言いだし、半ば強引に引き受けた。そして、マリサがこの依頼を受けようと思ったのには、すでに触れたように別の理由があり、その理由を聞いた僕とダイチも、今回の映像制作に便乗して、それぞれある計画を企んだ。それは、この地域に関する、ある謎を追うことだった。