鬼さんだって幸せになりたいけど頑張りたくない

 ある人のある場所でのとある投稿を見て、ひょっとして有永イネの『鬼さん、どちら』が映像化されるのではないかと思った。もし私の想像通り、ある場所である投稿をされたとある人が『鬼さん、どちら』の主演を務めるのなら、それはとても良いキャスティングだとも思う。

 『鬼さん、どちら』は、三千人に一人程の割合で存在する「鬼」に「先天性頭部突起症」という名前がつけられ、節分の風習もなくなった世界を描いた漫画だ。「鬼」といっても角があるだけの人間で、現実世界で言えば病気や障害の一種である。「鬼」には美男美女が多いらしいが虚弱体質の傾向もよく見られるらしく、そのせいで周囲から妙な気の遣われ方をされることも多い。こうして、おおまかな設定を振り返るだけでも、もし本当に映像化されるのなら、タイミングとしても申し分ないだろう。

 作品の「鬼」たちは、「鬼」であるがゆえに必要以上の努力を強要されることもあれば、逆に様々な面倒や努力を免除されてしまうようなこともある。そのために様々な軋轢も生じるわけだが、それはある種の「努力至上主義/苦労至上主義」的な価値観が大きな原因になっているように感じる。努力や苦労の大きさによって幸福であることの是非を判断するような思想。もちろん、真面目に努力している者より犯罪者が得をするような世の中が良いはずはないのだが、しかし、犯罪を成功させるのにも努力や苦労はつきものである。そうなると、犯罪者の苦労が真面目な努力家よりも大きいと判断されればそれまでだ。努力や苦労を過剰に評価するのは、合理性とは程遠いだろうし、幸福とも関係はなさそうである。

 オリンピック/パラリンピックのような催しは(感動的であるがゆえに)上記のような悪しき「努力至上主義/苦労至上主義」の温床ともなりえる。人種や性別における不平等と同様、それは是正されるべき問題だろうし、徐々に是正されつつある問題でもあったはずだ。「平和でよりよい世界の実現」を基本精神とするオリンピックで、そういった問題のバックラッシュが起きてしまうのなら、反発の声がより強いものとなるのも不自然なことではない。

 「負けないこと・投げ出さないこと・逃げ出さないこと・信じ抜くこと」と1991年のヒット曲「それが大事」で歌った大事MANブラザーズバンド立川俊之が「何が大事かわからなくなった」と語ったのは2015年のことである。負けそうになり、投げ出したくなり、逃げ出したくなり、何も信じられなくなった立川さんが、あの歌を歌詞通りの気持ちで歌うことはもうなさそうだが、それで良いと思うし、むしろその方が良い。『鬼さん、どちら』のラストに感じた開放感は、なんとなく『しくじり先生』ですべてぶっちゃけた立川さんの姿と重なった。「幸せになりたいけど、頑張りたくない」と歌ったのは忌野清志郎だが、それは少なくとも悪いことではないと思う。

鬼さん、どちら (ビッグコミックス)

鬼さん、どちら (ビッグコミックス)

 
それが大事

それが大事

 
JUMP

JUMP

  • アーティスト:忌野清志郎
  • 発売日: 2004/11/26
  • メディア: CD