『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(2)

 5年の夏の日、非常階段の踊り場から中学校で出会うことになるヨウジ君が首を吊って垂れ下がっていたので、タッちゃんも含めたクラスのみんなで担いで教室へ運んだ。ヨウジ君はへにゃへにゃに軽くなっていて、ずっと恥ずかしがるような言葉を発していたようだったが、聞き取ることはできなかった。タッちゃんは中学に入るとヨウジ君のかわりに教室で浮遊するようになったが、それが和風の熱気球にはしゃいだからなのか、ヨウジ君を教室に運ぶ手伝いをしたからなのかはわからない。なにせ、誰もタッちゃんを気にしなくなっていたし、タッちゃん自身も平気で透明になっていたので調べようがなかった。タッちゃんが透明になることは、ナイトウセイイチ氏の夢とは違い、当時の私には知る由もないことで、私とは別の薬をもらったタッちゃんを帰りに見かけることがあっても、母がやんちゃな子供たちに巻き込まれないかが心配で気にすることもなかった。

 事故のニュースを私は直接見ていない。その直後に流れた、アフリカの難民キャンプでハンモックのようなものの上で揺らされている赤ん坊に火がつけられ、気付いた国連兵士が慌てて飛び込んで助け出す映像のほうが衝撃的で、おそらく生涯忘れることはできないだろう。ヨウジ君を教室まで運んだ日には、民家に立てこもった殺人犯の映像がニュースで流れた。人質の幼児が居間で動き回るのに腹を立てた犯人が、幼児の背後から右肩を包丁で切り裂き、母親らしき悲鳴のあとでカメラを回す私にも切りかかってきた。驚いた私は幸いにして画面の前に戻ってくることができた。