「目には目を」と言われても、相手の目がどこにあるのかわからない

 画像生成AIで作られた水害のフェイク画像がTwitterで拡散され、見抜くのが困難になってきたと恐れる声があるかと思えば、「この程度のフェイク画像が見抜けないでどうする」などとマウントを取りたがる者も現れ、毎度のごとく色々な意味でうんざりとさせられる光景が繰り広げられていたのだけれど、そもそもどれほど真実味のある情報であっても、万が一誤りであった場合に責任がとれそうにないものはリツイートしなければ良いだけの話ではないかと感じる。

 リツイートや「いいね」を押すことで生じる責任というものを軽く考えているだけなのかもしれないが、いずれにせよ、好きなアイドルなどのちょっとした自撮り画像や、アーティストや作家の新作情報といったものならばともかく、やたらとリツイートの多いアカウントというのは、その時点で危うさに満ちていて、なるべく関わらないようにしている。

 とは言っても、自分の目にそれほど自信があるわけではないし、ちょっとした気の緩みによっておかしな世界に引きずり込まれる心配をし過ぎて、その疲れによってかえって気が緩みがちになっているのではないかとまた心配になるような性格の私は、デマだったところで問題にならないような話にさえ必要以上に警戒するようになり、ただでさえ底値の更新に歯止めがかからなくなっている社交性がますます損なわれていくような気がする。それもこれも、デマを生む者と拡散する者たちのせいである。連中だけが不幸になるようなデマならば、いくら拡散されても構わないのだが、デマを広める側が不利になるようなデマというものは拡がりにくいようである。