名前はまだない

 夜中、猫が激しめに何かと争う声が聞こえてきた。最初は猫同士の争いかと思ったが、聞こえてくるのは一匹の猫の鳴き声ばかりで、どうやら声をあげずにひたすら攻撃している何者かがいるらしい。

 おそらく猫の方は、よく庭をうろうろしている尻尾の短いグレーのあいつだろう。首輪はされていないものの、どこかで半飼いにでもなっているのか、特に人を恐れる様子はなく、いつも堂々と歩き回っている。不意の物音には、しばし動きを止め、音のした方に目をやるものの、またすぐに悠々と歩き出す。ただただ、うろつくだけで何か迷惑を被っているわけではなく、ここ2年近く、互いに特に干渉もせず暮していた。

 干渉はせずと言っても、2年も眺めていると多少の愛着は湧いてくるもので、その日の激しく争う音はさすがに気になり、様子を窺いに外へ出た。この辺りに出没する狐の一部は、小さな猫くらいなら獲って食ってしまっているらしいとも聞くので、もしも身体を食いちぎられた猫の死骸などが家の前に置かれていたら、愛着がなくとも嫌な気分にはなる。どころか、下手をすれば家の住人である私の仕業だと思われ、警察がやって来ないとも限らない。手遅れの状態であれば、誰かに見られる前に手厚く埋葬してやるべきだろう。

 幸い、私が外へ出た時には、猫も争いの相手の姿も見えず、どちらかの血や身体の一部が散らばっているなどということもなかった。家の壁に目立った傷や汚れもない。ひとまず、私がこの件で警察の厄介になることはないだろう。しかし、尻尾の短いあいつが狐に敗れ、そのままくわえられて行ってしまった可能性は否定できない。この日記を書いている時点で、騒動から1日半ほど経過しているが、尻尾の短いあいつの姿は見ていない。基本的には週に1度程度目にするだけだし、1ヶ月近く出くわさなかったこともあるのだが、なんとなく気がかりなままでいる。