かつては「声なき声」だった声

 地元新聞の「読者の声」欄で、部活動やスポーツ教室の指導者の暴言や激しすぎる指導といったものへの非難の声をよく目にするようになった気がする。

 もちろん、発行されている全ての新聞を購読しているわけではないから全体像として語ることはできないし、過去の投稿内容の傾向をしっかり調べたわけでもない。そもそも、新聞の読者自体が減ったといわれる現在においては、私の地元紙に限らず、「読者の声」欄が本当に投稿された読者の声によって構成されているのかすら疑わしい気もするのだが、世間一般の風潮として、スポーツ指導に限らず、学校教育や家庭でのしつけといった面での体罰や暴言は昔よりもしっかり否定されるようにはなってきているはずだ。そして、それ自体は喜ばしいことだと思う(遅すぎたとも感じるが)。

 ゆえに、上記のような私の「よく目にするようになった気がする」という印象が正しかったとすれば、それは暴力的な指導者が増えたのではなく、世間がそれを許容しなくなったがゆえに、それに反するような指導者の姿が非難され易くなったと考えた方が良さそうだ。いまだに厳しい指導を良しとする風潮が強いのであれば、実際の投稿であれ新聞社の捏造であれ、反論の声も掲載され、(おおむね不毛な言い争いにしかならないが)議論めいた展開になりそうなものだが、そのような流れをよく目にするようになったという印象は持てない。

 さて、今よりも暴力的な指導・教育が横行していたはずの世代というのは、新聞の購読率は高そうに思うのだが、実際に暴力的な指導者・教育者だった者たちは、私が上記したような印象を持つ紙面を眺めて何を思っているのだろう。感想を訊いてみたい具体的な個人名も数名頭に浮かぶのだが、今さら面と向かって会いたい方々でもない。極端に偏った出版物やサイトなどでは、きっと絶望的な主張ばかりが掲載されているのだろうが、そんな世界では、あの人やあの人も保護色で分からなくなっているだろう。もっとも、私の頭に浮かんだ何名かの中には、そもそも自分が批判の矢面に立たされていることにすら気づけないほど鈍感そうな者も少なからず存在しているのだった。