「嫌いと嫌いが嫌いで嫌いの嫌いへ嫌いな嫌いは嫌いを嫌い」

 「好きの反対は無関心」という聞き飽きた説がある。たぶん、間違っていると思うし、せいぜい「そういう場合もある」程度の話だろう。そして、この説とも言えそうにない説を根拠に、否定的な言葉に対して「嫌いと言いつつ、気になって仕方がないのだな」などと勝ち誇ったようにのたまう者の姿もまた、見飽きるほど目にしてきた。

 相手を不快にさせるのが目的であれば充分な効果を持ち得る言葉だろうし、大半はそれ以上の意味など持っていないだろう。しかし、反論として妥当なのかと考えると、そもそも前提となっている説に否定的なので、まったく納得はできない。

 それが良いことなのかどうかは別として、人は基本的に肯定されたいと感じるもので、それは「否定的な意見」を述べる場合も同様だろう。同じ対象を否定・批判している他者を探しがちになること自体は、理解に苦しむようなものではない。特にネットのニュース記事の見出しなどは、いわゆる「釣り」的なものが多く、実際に批判すべき内容になっているかは別としても、話題となっている人物や事象に対し否定的な者の目にも留まり易くなっている。同じ種類の人間を探す絶好の機会と考えてしまうのも、あさましくはあっても無理のない話だ。そして、期待通りの言葉が並んでいないどころか、擁護や称賛の声が多く目に入れば、腹いせに文句を書き込みたくなることも、愚かではあるが理解できなくはない。こういった点を踏まえたうえで、もし本当に反論として先のような発言をしている者がいるのだとすれば、それこそ愚かなうえに理解もできない。

 いずれにせよ、それが妥当な判断かどうかは分からないが、話題の対象を嫌いな人間は気持ちなど変わらぬまま、いや、一層強く憎んでしまうことだろう。反論側がそれで構わないのであれば、好きにやりあい続ければ良いとは思うけれど。