「だったらいいな」が生むべきものとは

 「テレビアニメ版『ツヨシしっかりしなさい』は集団幻覚ではないのか」という話は、どうも定期的に話題に上がり、その都度小さな盛り上がりをみせている気がするのだけれど、このところ私は「大谷翔平日本ハムファイターズに在籍していたことこそ集団幻覚ではないのか」と疑いを持っている。

 スポーツ嫌い、特に日本におけるスポーツというものの在り方に関しては憎悪を抱き続けている私だが、その私ですら偉大さを理解せずにいられないほどの存在となった大谷翔平が、よりにもよって角盈男がかつて某バラエティ番組内で「あいつらはヒマ」と言ってのけた日本ハムファイターズの選手だったなどと言われても、それは多くの日本人、特に北海道民の「だったらいいな」という願望によって生じた幻覚だと考えても無理はないのではなかろうか。おそらく、スポーツ嫌いの私だからこそ、疑念を持つことが可能だったのである。

 いや、もちろん無理のある話なのだが、自分の娘が大谷翔平を彼氏として連れて来ることを真面目に期待しているような方々(実際、いるらしい)ほど、突拍子もない発想ではないと思いたい。しかし、いくらスポーツ嫌いの私ですら偉大さを認めざるを得なくなった大谷選手が日本で活躍していたことを誇りに思いたい人が多くいたとしても、たとえ集団幻覚であろうと、もっと具現化されて然るべき「だったらいいな」が沢山あるはずだ。さすがに深刻な社会問題等の解決よりも「大谷は日本で活躍していた」が重要視されてしまうとは考えたくないので、やはり集団幻覚説など荒唐無稽な戯言だったという結論にしておきたい。まあ、優先されるべき「だったらいいな」の大半が現実味を失い過ぎてしまっているということかもしれないけれど。