七誤算

 私には七五三の写真がない。育児放棄されていたわけではなく、私自身が三歳の時点で泣いて嫌がったからである。物心つく前から、なぜか本能的に着飾られることを拒否する性質があり、多少の懸念はあったものの「記念だから」と連れていかれた写真屋で想像以上の抵抗を見せたのだという。「記念だから」という親族の言葉からも、決して愛情を受けていなかったわけではないはずだが、その記念を台無しにした三歳児をそれ以降も愛してくれていたかどうかは定かでない。

 結果的に丈夫でも健やかでもない育ち方をしたわけだが、どうせ大人しく七五三の衣装に身を通しても同じ結果になった気もするし、だからこそ本能的に「無駄な事はしなくていい!」と拒否してみせたのかもしれない。実際、しっかりと七五三のお祝いをしたのに健やかに育たなかったのならば、なんだか騙された気がするだろうし、伝統や運命や写真屋を恨むことにもなりかねないが、今のところ「お祝いを拒否したから、こんな身体になったのかもねえ」と親子ともども自虐的な笑い話に替えられる程度の人生は送れているので、そこまで悪いものでもなさそうだ。もっとも、学校の思い出より病院の思い出の方が良い意味での懐かしさを感じるということが健全だとまでは思わない。