Valentine's Day Kill

 「バレンタイン」「毒殺」といった物騒なワードで検索してみても、上がってくるのは創作物ばかりで、しかもプロの作品よりも一般の方が趣味で描いた物語が多い。検索結果の概要を眺めているだけで、過剰に甘く、余計な混入物まで大量に加えられたチョコレートを流し込まれるような気分になり、実際に一例でもそのような事件があったのかどうかさえ不明なまま早々に力尽きてしまった。もっとも、たとえ義理という形であっても、殺したいような相手にバレンタインに贈り物などしたくないだろうし、万一殺害に失敗し、そのうえ殺意すら伝わらなかったとしたら、最悪に不快な勘違いを起こされる危険性もある。どうやらモテない者たちが考えるほど(偏見だが)、バレンタインは毒殺に向いていないようである。

 考えてみると、バレンタインに関わらず、特定の人物を食品に混入させた毒物によって殺害するというのは、家族間や表面上の友人関係を築けていない場合は非常に困難に思える。殺意を持つほど険悪であればあるほど、口にするものを送る機会は減るであろうし、機会に恵まれたところで、殺されるとまでは思わずとも、相手だって多少の警戒はするだろう。

 相手が口に入れようとしているものに、隙をみてあらかじめ毒物を混入させておくならまだしも、わざわざ自ら「贈り物」と称して手渡すなど、何か特別な意味が込められていない限り、殺害方法としては愚行としか言いようがない。別の誰かが標的に渡したチョコレートにこっそり……という方法もあるだろうが、標的が誰からも貰っていなければ実行できない。そもそも、差出人の確認がとれようが、その場で標的がチョコを口にするとは限らないし、標的以外を犠牲にしてしまう可能性もある。いずれにせよ、わざわざバレンタインを利用する意味はない。

 それなのに、どうして多くの創作者たちがバレンタインを毒殺日和にしたがるのだろう。やはり、モテない者の歪んだ感情が生み出した哀しき風潮なのだろうか。