想い出が心配

 先週から引き続き、春の訪れを感じるどころか、すでに春の奴は我が物顔で居座っていやがるかのような気候が多く、ほとんどの雪は日陰に寄り集り、たんまりと埃も溜まって野良犬や狐の糞尿による汚染なんてことを考えずとも触れたくないほど薄汚れており、雪だるまなんてものを作る物好きも当然現れず、いつぞやのように溶けかかった汚ねえ雪だるまが放置されて目に入るたびに「いっそ、ひと思いにラクにしてやったほうが」などと無用な殺生願望に囚われることもない。しかし、暖かくなれば不愉快な虫の類も姿を見せ始め、早々に殺虫剤の予備を購入することとなり、結局は殺生に手を染めずに生活することは叶わずにいる。

 一見すると綺麗な雪景色に思えるほどの積雪があったとしても、雪の衛生状況などまったく信頼していない私は、北海道育ちでありながら、この歳になるまで雪だるまなどというものは作ったことがなく、体育の授業でやらされたスケートやスキーにしても、何かのはずみに雪が口に入って、それが原因で厄介な病気にでもなったら教師どもはどう責任をとってくれるというのか、いや責任なんてとりようがない、そもそもとるつもりもないのだろう、いつかこの怨み、晴らさでおくべきか、などと考え続けていたのだが、小中学校の教師という連中は数年おきに学校を転々とするもので、仇討つべき相手の所在がわからなくなるなんてこともざらで、きっとこの仕組みは児童たちが復讐する力を持つまで姿をくらませるためのものなのだろうと疑っているのだが、このあくどい仕組みをどうにかしようという声はいつまでたっても聞こえてこず、これはおそらく義務教育の過程で「社会は理不尽である」と教えこむことによって教師たちへの怨みを雲散させているからだろう。これもまた絶つべき悪しき慣習であるはずなのだが、大事な方程式や正しい母国語、世界の歴史や自然科学の仕組みなどはすっかり忘れているような輩でも、どういうわけか「社会は理不尽」ということだけは覚えていやがり、理不尽であること自体を修正しようとする気はなく、新たな理不尽を生み出すための言い訳に使う者まで現れる始末で、修正すべき箇所は増える一方、しかしながら、この時期になれば面倒事にはいつも以上に目を逸らし、桜が舞い散るきっとずっとなどと歌詞だけイージーリスニングな楽曲を合唱したりしながらオカルトウォーターを飲みつつ理不尽の階段をのぼっていく者たちが大勢現れ、下手に外へ出たりすると彼ら彼女らの吐きだすCO2によって酸欠に陥る危険性があるため、心の風邪を悪化させないために私は部屋に籠城しているわけだが、こういう病んだ匂いのする文章を書き散らかしてしまうのも奴らの吐きだすCO2の影響なのだろう。

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翼もください

 背中に翼が生えていたら、人間の日常生活においては邪魔で仕方ないだろうという話は、所ジョージさんが言っていたのを聞いたのが最初で、たしかにドアに挟んだりすると痛いだろうし、抜け毛ならぬ抜け羽に悩みそうだし、自分の抜け羽でアレルギー性の鼻炎を患ったりもしそうだし、雑技団の人なみに身体が柔らかくないと特に付け根あたりを洗うのは大変だろうなあとも思う。

 そもそも翼は洗っても良いものなのだろうか。髪や頭皮だって他の部位と同じような洗い方をするのは良くないわけだから、翼にも特別な洗い方がありそうなものだ。翼用シャンプーとか余計なものを常備しないといけなくなると経済的にも不利になる。ノミやら毛じらみの心配もある。それに、やっぱり身体が柔らかくないと万遍なく洗うのは困難だ。

 天使ならば何らかの力によって常に清潔を保てるのかもしれないが、「翼をください」に代表される飛翔願望系の物語は、あくまでも「鳥のように/翼がほしい」といったものであって「天使になりたい」ではなさそうである(たぶん、「天使になりたい」だと死後の世界のイメージが強くなるからだろう)。そうなれば、上記のような心配事が絶えずつきまとうことになる。

 もっとも、天使であっても、いざ地上で生活しようとなると、挟んだり引っかかったりといったトラブルには見舞われそうだし、仰向けでは寝づらいというのも大きなハンデとなる。妙に背中が膨らんでいて、いつもうつ伏せで寝ているような奴は、ひょっとしたら天使なのかもしれない(ちっとも、天使っぽくないが)。天使のまま地上で生活するのは大変である。だから、『ベルリン・天使の詩』のように、ピーター・フォークになったりしないといけないのだろう。

 だいたい、なんでも願いが叶うという場面において、空を自由に飛びたいからといって翼をリクエストする必要はない。そのままの身体で自由に飛び回れる能力を授けてもらえば良いのである。それでも翼がほしいと願うのであれば、それは結構な物好きだと言えそうだ。なんなら、飛翔能力を授かったうえで、「ついでに翼もください」とリクエストしてみてほしい。神も物好きな性格であれば、面白がって叶えてくれるかもしれない。

GOLDEN☆BEST/赤い鳥 翼をください~竹田の子守唄

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雪が降らない、あなたも来ない 夏にはきっと奴が来る

 もう3月だというのに、この冬の本格的な除雪回数は3回程度。例年であれば、夏の暑さよりも冬の除雪による発汗のほうが多く、常備してある塩分補給タブレットの消費量も多くなるはずなのだが、まだたっぷりと残っているのに賞味期限が近付いてくる有様。もったいないので朝風呂/朝シャワーの後に口に放りこんだりしているのだが、なにかを口にすると約15分後くらいには必ず歯を磨きたくなるので(すぐに磨くのは良くないらしい)、消耗するペースが速まっているのは歯磨き粉のほうだったりする。

 雪祭りやウィンタースポーツへの関心が皆無に近いので、雪なんぞは少ないに越したことはないのだが、あまりに少ないと夏の雨が多くなるのではないかという不安がよぎってくる。東京の湿気に耐えられず、故郷へ戻ってきた私にとっては、雨が多くなるくらいなら大雪に悩まされるほうがずっとましである。まあ、いざ雪が降ったら降ったでうんざりして悪態をついてしまうような勝手な人間ではあるが、夏に湿気を持ちこされるくらいなら、今月中にどんと来てくれてかまわない。雨乞いではなく雪乞いの儀式の必要性を感じる。もちろん、死者が出ない程度にだけれど。

 とは言え、相手は自然なので、いくら真剣に真摯に願ったところでどうしようもない。むしろ、真剣であればあるほど自然をコントロールしようという傲慢さを見透かされて、手痛いしっぺ返しを食らいそうな気もしてくる。案外、自分にとって最も心地良い天候を軽い気持ちで「だったらいいなあ~」なんて口にしているくらいが精神衛生的にもちょうど良いのかもしれない。しかし、そんな余裕を持って生きることができているのなら、そもそもそれは大きな不安を感じさせるような天候が続いてなんかいない状態だとも思う。不安というのも自然現象みたいなものなので、湧いてしまえばもうどうしようもないのだ。

モブキャラである限りはみんないい人

 ツイッターで「関わったことがない相手なのにブロックされていると困惑する」という人がいる。そういう人は、自分の言動が他人を不快にさせる可能性というものを微塵も考えないのだろうか。どんなに言動に気をつけようと、実際に悪いとされるようなことは一切なかったとしても、他人というのはわからないもので、相手のそれまでの経験や現在の精神状態によっては思いもよらないことが深く刺さったもするし、なかには確かにこちらが困惑するような理由で勝手に傷ついたり不快になったりする者だって存在する。それを踏まえれば、どれだけ注意を払って呟いていたとしても、世界中に向けて言動を発信している限り、知らないうちにブロックされるという事態なんて容易に想像できそうなものだ。多少ショックではあるだろうが、リツイート等によってタイムラインに見たくはないものが不意に飛び込んできてしまうことが避けようのないツイッターでは、予防的ブロックという行為が行われるのも仕方のないことだろう。

 あまりにショックが大きかったり、頻度の高さに悩んでしまうのなら、なんらかの対処法というか心の持ちようというのは必要かもしれないが、どんな場合でも「自分をブロックした奴は自分のような人間に嫉妬しているだけだ」というようにしか考えられないのなら、そんな都合の良い思考の持主であること自体がブロックされた大きな理由だろう。実際、私はそんな奴と関わりたくないし、危険性の高い相手を偶然発見したら、きっと予防ブロックしておく。

 私も褒められるような人間ではないが、道や公共施設などで、ただすれ違ったり視界に入っただけの相手を憎むほど性格が破綻しているわけではないのだし、なんだったら「私の人生にとってただのモブキャラである限り、私はそのモブキャラたちを生涯愛します」と言ってのけても良い。私なんぞに愛されても困るだろうが(その場合はブロックしておいてほしい)。

新百合ヶ丘の青いバカ

 10年以上も前のある日、神奈川県川崎市新百合ヶ丘駅周辺を爆弾の仕掛け場所を探すかのような目でうろつく見るからに怪しげな者がいた。その者は現在、美月雨竜などという本人のスペックとはまるで似つかわしくない綺麗な名を名乗り、本人のスペックそのままの一文にもならぬ文章を週に二度ほど広大なネットの荒野の片隅に書き散らしているのだが、その日その者が新百合ヶ丘駅周辺をうろいていた理由は、翌日に控えた日本映画学校(現・日本映画大学)の入学試験を前に、試験会場でもある校舎の周辺状況を把握しておこうと企んでいたからである。なにかしらのトラブルに巻き込まれた場合でも、逃走経路をあらかじめ確保しておけば、絶対安心とはいかずとも心強い。

 幸い、その怪しげな人物がトラブルに巻き込まれることはなかった。そして、何かの間違いで映画学校の入学試験にも合格してしまった。それゆえ、しばらくして最低3年間は住むことになるであろう新百合ヶ丘駅周辺に住処を探すために再訪し、そこそこ安く交番が近いことが取り柄の住処を見つけ、結果的に三年どころか6年近く慣れない暑さと湿気をそこで凌ぐことになるのだが、やはり慣れないことを慣れない場所で6年も続けるなど身体に良くなく、映画学校での生活も最悪とまではいかないが確実に精神を蝕み、今なお後遺症に悩む日々を送っているのだから、受験しようと考えたこと自体がトラブルだったとも言える。人生の逃走経路もあらかじめ確保しておけばまだ救いがあったのだろうが、目の前の危険に怯えすぎて常に背後に張り付いている大きな脅威のことを失念していたのである。

 今さらどうすることもできず、考えれば考えるほど精神状態は悪化していくので、静養を余儀なくされた理由についてあれこれ詳細に思い返すことは控えるが、当時の記憶を振り返った時に少し気になるのは、休みの日に外出した際、同期生とばったり出くわすということが滅多になかったことである。数回、私なんぞを誘ってくれる奇特な同期生と共に観劇なんかに出かけたことはあったものの、映画を学ぶ者なら足を運んでしかるべき書店やレコード店に一人で訪れた時、誰かを見かけたことがほぼない。交流のある人間が少なく、関わりのない同期生の顔などほとんど覚えていなかったせいもあるが、それにしたって見覚えのある顔を目撃することがもっとあっても良さそうなものだが、いったいみんな休日はどこで何をしていたのだろう。そりゃあ、タワーレコードに行っても、ただでさえ人の少ないアンビエントアヴァンギャルドのコーナーに直行してしまう私にも問題はあるのだろうが、直行するとは言っても別のフロアを横切ったりはするのだから、誰かが視界の端に紛れ込んでも不思議ではないはずだ。ひょっとしたら、他の学生に悪影響を与えると判断され、私の知らぬところで「休日に奴とは関わるな」という戒厳令が敷かれ、学校が影で運営する秘密組織「へいま親衛隊」が私の行動を監視し、休日の動向がくまなく全学生にメールで伝えられていたのかもしれない。最初の撮影実習の時点で人止めや撮影交渉にうんざりし、「なにゆえ学生の実習映画のために通行人の自由を奪わなければならぬのか!」「ならば実写よりアニメのほうが良い。少なくとも通行人の迷惑になることがない!」などと強く主張していたから、学校側から反体制勢力と判断されていても不思議はない。

 生まれ故郷の北海道に戻ってからは、さしもの「へいま親衛隊」もそう簡単には手を出すことができないようで、なんとか静養の日々を送ることができている。しかし、奴らはこちらの住所等を把握しているはずなので油断はできない。今のうちに新たな逃走経路を確保しておいたほうが良いかもしれない。

嘘つきには知性が必要だが、愚かであるには何もいらない

 19世紀の終わりから20世紀のはじめ頃まで、アメリカ・コネチカット州の田舎町ウィンステッドは、おそらく世界で一、二を争うほどの愉快な町であった。なにしろ、毛むくじゃらの野性児にしゃべる犬、焼きりんごのなる木、頭に蜘蛛の絵を描いた男などなど、奇々怪々な生き物や風景で溢れていたのだ。

 といっても、それは新聞記事の中だけの話で、これらはすべてウィンステッドの地方紙の記者、ルー・ストーンによる捏造だった。しかし、彼は「ウィンステッドの大嘘つき」の愛称で親しまれ、おかげで町は地図に記載されるようになり、ストーンの死後、町の入口には、その旨を記した標識まで立てられたという。ホラ話をホラ話とわかって楽しむことが世界を豊かにし得ることの見本のような人物である。文学や漫画、映画といった創作物に愛すべき嘘つきたちが多く登場するのもそれゆえだろう。私も自分の見る目の確かさを誇示するためだけの“本物”とやらより、胡散臭くも愉快な“偽物”のほうが好きだ。

 私がルー・ストーンを知ったのは、デヴィッド・バーンの監督作『トゥルー・ストーリー』に関する批評を探していた時に見つけたTHE MADISONSのサイト「悲惨な世界」(https://www.madisons.jp/mondo/m_08/m08_1.html)だったが、そこで紹介されていたもう一人の嘘つき、ベルナール・マクファデンの最期は、“愛すべき嘘つき”であったことを伝えるストーンのものとは対照的なものである。

 大衆紙に悪辣な捏造写真を載せ続けて悪名を轟かせた(ストーンと違って「悪名」と表現して良いものだと思う)マクファデンは、元々はエセ医療家で極端な自然療法の提唱者だったらしい。なにしろ彼は黄疸の症状が出ても断食療法を貫き、3日目に死亡しているのである。捏造写真に関しても、「この世では眼に見えたものが、すなわち真実なのだ。だから私の報道はすべて真実なのだ」と言ってのけたようだが、ようするにマクファデンは“嘘つき”ではなく“愚か”だったのである。ストーンとマクファデンの生涯を比較してみると、どうも嘘より無知のほうが罪は重いように感じる。

 考えてみれば、嘘をつかずに居続けることよりも、無知を克服しようと努力し続けることのほうが困難な気がする。言いたいことを言っているだけの人間はたしかに正直ではあるのだろう。しかし、より苦労したほうが褒められやすい世界なのに、なんだか嘘つきのほうが非難されがちのようにも思える。無知であることの罪の重さを認めたくないだけかもしれないけれど。

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スローライフはいくらかの想像力を犠牲にした上に成り立っている

 昔、『世界まる見え!テレビ特捜部』で意中の相手をその気にさせる「愛のフェロモンドリンク」なるものが紹介されたことがあった。詳しい作り方は忘れてしまったが(紹介された回の録画ビデオはあるのだが、わざわざ資料庫に保管されてある大量のビデオから探すのは面倒である)、たしかミルクをベースにバラの根など媚薬的なイメージのあるものをいくつか投入したうえで、自分の汗、唾液、髪を燃やした灰を入れるというもので、最初から双方が強く惹かれあっていない限り、バレでもしたらえらいことになるような代物である。スタジオにもフェロモンドリンクが登場して、ビートたけしがゲストの女性(たしか細川直美)のフェロモン入りであることを期待し率先して飲んだのだが、結果は林家ペーのフェロモン入りだった。

 それにしても、作る側の健康状態や相手との関係性によっては、かつて大泉洋が作り出した魔の飲み物「コーンヒー」を凌ぐ殺傷能力を持つことになるであろう飲み物がゴールデンタイムに紹介されていたというのは、なんだか恐ろしくもある。もっとも、世界にはラブアップルなど色恋にまつわる少々眉をひそめたくなるような習慣というのは他にも沢山あって、性別を問わず、片想い中の者のなかには藁にもすがる思いで実行した者もいるのだろう。そして、何も知らずに与えられた側が原因不明の体調不良に見舞われた、なんてことも起きていたかもしれない。私には無縁の話であるが、もてる人間は注意したほうが良い。

 しかし、妙な風習に限らず、一般的な飲食店等においても、阿呆な店員の悪ふざけで汚染された食物が多く出回っているかもしれない昨今、極度の潔癖症は、もう自ら土地を開墾し作物を育て、盛り付け用の皿も焼き、育てた作物を自分で調理して食すというシェフ大泉のような生き方をしなければならなくなる(シェフ大泉の料理は「遅い・不味い・危険」で有名だが)。いわゆる自給自足の生活であるが、そもそも極度の潔癖症に自給自足生活など不可能に思える。どこかで無駄なまでの想像力を抑え込み、折り合いをつける他ないのだが、それができないのが潔癖症というものである。幸い、私はそこまで極端な潔癖症ではないが、いつ症状が急激に悪化するかわからない。そうなれば、仮に金銭的援助を受けたとしても生きていく術はない。無菌室で超衛生的な生活を送る姿を見せものにして費用を稼ぐという手もあるかもしれないが、そんなことができるほどの度胸があれば、そもそも極度の潔癖症になど陥ってはいないだろう。

 結局、今の私にできるのは、目の前に置かれた食物がそれまでに辿ってきた道程を必要以上に想像しないようにすることくらいである。考えなければ人間ではないが、考え過ぎれば生きていけない。

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