彼らの歌う声は劣悪なスーパーボールさ、跳ねることすらない

 不用になった物をリサイクルショップへ売りに行った。査定中に店内を散策していると、地元出身の某若手演歌歌手のCDが売られているのを発見した。この演歌歌手の知名度からしても、リサイクルショップで売られている点からしても、やけに高値に思えたので手にとってみると、それもそのはず「未開封品」であった。

 とある音楽雑誌で「尋常ではない気持ち悪さ」と評価(?)されていた某若手演歌歌手は、たしか地元のしょうもないイベントにもよく出演しており、おそらくそういった催しの関係者に配布されたものか、あるいは欲しくもないのに押し付けられた親類・知人が封も開けずに売ったものであろう。売値から察するに、2、300円程の利益にはなったのかもしれない。

 問題はリサイクルショップからこのCDを購入する者がいるかどうかである。私は手にとってみただけで、当然購入していない。しかし、購入する者が現れなければ、リサイクルショップ側からすればとんだお荷物である。定期的に覗きに行って、どこまで価格が下げられるか観察しようかなどと性格の悪いことを考えたりもしている。

 さて、私の父はかつてプロのミュージシャンだったことがあるのだが、その影響か、「知り合いの知り合いの売れない歌手/バンド(アマチュア含む)」あたりの音源というものが、我が家には結構な数で保管されている。売られてしまった某若手演歌歌手のCDのように、未開封のものも多い。いかんせん、北海道の片隅に隠居しているような元ミュージシャンなので、質の良い音源などそうそう舞い込んではこないのだ。

 まあ、送りつけてきた方々が金をせびってくるようなこともないので、その点は不幸中の幸いといえよう。たとえ、彼らの音源をリサイクルショップが買い取ってくれなかったとしても。

俺の声/SION

俺の声/SION

  • アーティスト:SION
  • 発売日: 2001/11/21
  • メディア: CD
 

 

魚影の熟れ

 私が「さんまのなれ寿司」を知ったのは、1991年に日本テレビ系で放送された『追跡 全国の名物ずしと珍品ズシを訪ねる旅』という番組によってだった。

 「なれ寿司」は「馴れ鮨/熟れ鮨」とも書き、魚と米を発酵させてつくる寿司で、「腐れ寿司」などと呼ぶこともあるらしい。当然、クセも強く、好みも分かれ易くなる。幼い頃から「腐敗」に対し強い嫌悪と興味、そして妙な愛着を同時に抱いていた(「畏怖」と言うべきか?)私の脳味噌に、この珍品ズシの記憶はしっかりと刻み込まれることとなった。

 上記の番組では3週間モノ(初心者向け)、1年モノ(上級者向け)に続き、ほとんど液状化し元の姿を失った「30年モノ」という凄まじい品が紹介されていた。スタジオゲストの安部譲二さんが、珍しく浮かない表情で「俺は3週間モノがいい……」と仰っていたのが特に印象に残っている。

 さて、番組が放送された1991年に「30年モノ」だった「さんまのなれ寿司」だが、私がインターネットにだいぶ慣れ始めた2005年頃になんとなく検索してみると「40年モノ」に進化(?)しているらしい情報を見つけた。このまま50年、60年と更に発酵を重ねていくのだろうかと興味と恐怖を募らせていたのだが、つい最近、再び検索してみると2012年頃に体験(挑戦と言うべきだろうか)したらしい方の文章に「30年モノ」と書かれているのを発見した。

 どういうことだろう。50年を前に最初の壺(30年モノは壺に保存されていた)の中身が売り切れてしまったのだろうか。あるいは、さすがに50年を越えるようなものは破棄するしかなくなったのだろうか。そうだったとしても、1991年の番組放送時に「20年モノ」なる弟分的存在の情報はなかった。もちろん、たまたま番組で触れなかっただけのことかもしれないが、いずれにしても50年を越えたかもしれない、元祖「30年モノ」(ややこしい)がどうなったのかは分からない。分かったとしても、直接お目にかかりたくはない。

魚影の群れ

魚影の群れ

 

 

先生、「大雪太郎」じゃ駄目ですか?

 ウルトラマン怪獣図鑑には「ナマハゲ」が載っている。秋田名物のあの「ナマハゲ」である。ウルトラシリーズのファンなら周知のことだろうが、怪獣(怪人)として登場したことがあるのだ。『ウルトラマンA 第38話「復活!ウルトラの父」』でのことである。

 私が幼少期に読み込んだ『ウルトラマン大図典』(講談社)の紹介文には「伝説怪人 ナマハゲ/身長:2m/体重:75kg/出身地・出現場所:秋田県~東京近郊」とある。身長に対して少々体重が軽いように思えるのは、やはり神の使いだからだろうか。

 さて、神の使いであるナマハゲがウルトラマンの世界に、それも「怪人」と称されてまで何故姿を見せたのかというと、「日本の神をあがめず、クリスマスにうかれる日本人をこらしめるために出現」(『ウルトラマン大図典』より引用)という右翼団体のような理由であった。ちなみに、『ウルトラマンA』では、獅子舞の面をいたずらした少年が怪獣化(獅子超獣シシゴラン)する回もある(第41話「冬の怪奇シリーズ 怪談!!獅子太鼓」)。どちらも脚本は故・石堂淑朗氏によるものである。

 まあ、日本古来の神々がないがしろにされることに関しては、どちらかといえば左寄りな私でも非常に心苦しく感じる面もあるのだけれど、このナマハゲ様が連れてきた怪獣(『ウルトラマンA』に登場する怪獣は基本的に「超獣」と表記される)の名前が「スノーギラン」で、これは右翼団体街宣車のカーステレオから「Born in the U.S.A.」が大音量で流されているようなものではなかろうか。

 『空想非科学大全』にて柳田理科雄も疑問を感じていた設定だが、TUBEの「シーズン・イン・ザ・サン」を垂れ流す街宣車を見かけたこともあるので、ひょっとしてそのくらいのことは許容範囲になっているのだろうか。『A』のナマハゲ様の表記も、あくまでカタカナの「ナマハゲ」であることだし。

 しかし、最終的にはウルトラマンAに退治されて(ナマハゲはウルトラの父に退治された)しまった。敗因が思想に一貫性がなかったためかどうかはわからない。

Born in the U.S.A.

Born in the U.S.A.

  • 発売日: 2009/11/25
  • メディア: MP3 ダウンロード
 
ウルトラマン大図典

ウルトラマン大図典

  • メディア: 大型本
 

 

歯医者さんだけには褒めてもらうため眠りながらでも歯を磨く

 歯磨きの最中に眠りかけることが多くなった気がする。処方されている薬のせいか、単に寝不足なのか、春のせいか。一本の歯の一つの面に対し、最低でも20回磨くようにしているので、よく歯磨きの時間が長いと言われるが、それも影響しているのだろう。すっかり手が動きを記憶してしまっているようで、半睡眠状態でも仕事をこなしているらしい。しかし、なにぶん半睡眠なので本当に磨けているか不安になり、結果的に一面を倍以上磨くこともしばしばである。

 いっそ、眠っていてもしっかりと磨けるほどに身体が動きと力加減を記憶してくれれば、身支度にかかる時間を削減することもできそうだ。だが、いかんせん熟睡とはいかないだろうから、寝不足が悪化しそうである。一日の大半をぼんやりした状態で過ごすことになっては、身支度時間を削減したところで何の意味もない。

 歯磨き前に気つけとして一、二発顔を殴ってみようかとも思ったが、虫歯でもないのに顔が腫れているというのも好ましくない。しっかり覚醒するまで待てば良いという意見もあるが、歯を磨かなければ目が醒めた気がしないという厄介な性分でもあるため、これもまた解決法にはならない。

 結局、充分な睡眠をとるというのが歯も含めた身体全体への最善の対策なのだろう。しかし、得体のしれない夢ばかり見て(ツイッターにて、これまでに見た夢と現実の出来事をまぜこぜにした「夢まみれの自分史」を毎日更新中)ちっとも熟睡できていない。眠るのにも体力が必要だと聞いたこともあるので、ひょっとした身体が弱っていることの証なのかもしれない。そして、弱っているためか、解決策はいっこうに思いつかないのだった。


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NOVOCAINE ノボケイン [DVD]

NOVOCAINE ノボケイン [DVD]

  • 発売日: 2003/01/11
  • メディア: DVD
 

 

逃亡トンガリキッズ

 眼鏡が壊れている。直したり買い替えたりするといくらかかるかわからんので、無理矢理テープで補強してある。意外と知人にも自分から白状するまでバレずにいた。金銭的余裕を充分に感じられる時まで、なんとか誤魔化せそうな気もする。

 問題は拭いたり洗ったりするのが困難になってしまったことである。そもそも、破損原因が私の拭き過ぎ/洗い過ぎによるものなのだが、不衛生な眼鏡で人前に出るくらいなら、歪んだ眼鏡で笑われるほうが良い。

 眼鏡が必需品になったのは小学校中学年からだった。おかげで元々嫌いだった体育が余計に嫌いになった。眼鏡破損への恐怖心からである。割れたレンズや部品が眼球に突き刺さるダリオ・アルジェントルチオ・フルチ的な夢をよく見るようになった。体育以外にも生活全般で自主規制することが増えていった。

 理科の実験で火や劇物を扱う際、「眼鏡の者は目が守られているから有利」と言った教師がいた。ゴーグルならともかく、隙だらけの近眼補正器具のどこにそんな守備力があるというのだろう。だいたい、眼鏡の有無に限らず、脳味噌の完成していない命知らずな児童/学生どもに危険物を扱わせること自体が間違っていると思う。図画工作や家庭科も含め、早急に徹底した安全対策議論が求められる。

 幸い、体育祭や球技大会といった特に注意を必要とする生活不必要行事の多くを極力避けてきたため、学校生活で眼鏡を壊すことはなかった。破損原因が学校側、あるいは自分以外の児童/学生側にあったとしても、あの連中が充分な補償をしてくれたとはとても思えないので、そうする他なかったのだ。車椅子や補聴器などと比べ、眼鏡はそこらじゅうに溢れているがゆえに心配されづらい面がある。日常に溶け込むというのは、同時に特別な配慮が失われ易くなるということでもある。バリアフリーな社会が広まるのは勿論歓迎だが、様々な補助器具などの扱いが眼鏡と同じ運命を辿るのではないかという一抹の不安も私は抱いている。

トンガリキッズ I

トンガリキッズ I

 
東京トンガリキッズ (角川文庫)

東京トンガリキッズ (角川文庫)

  • 作者:中森 明夫
  • 発売日: 2004/01/24
  • メディア: 文庫
 

 

入院生活義務教育化

 母によると私が最初に発した言葉は「痛い」だったらしい。赤子の頃から病院通いが多かったので、親や医療関係者から「痛くないから大丈夫だよ」「ちょっとチクっとするけど我慢してね」「痛かった? ごめんね」といった言葉を繰り返し聞かされ続けたのが原因だろう。おかげですっかり注射には慣れてしまったが、両親を指す言葉より先に「痛い」と発したことに対するちょっとした申し訳なさはある。

 味の濃いものが苦手なのも入院が多かったからだろう。不味いの代名詞にもなっている病院食を不味いと感じた記憶がない。あまり魚を得意としない私が、病院では喜んで魚を食していたのも、院外で提供される魚料理に比べて脂気や生臭さが少なかったからだと思われる。食後に嘔吐したことはあるが、それは不味かったからではなく元々具合が悪かったからである。

 是非はまた別の話になるが、教育の一環として僧侶の生活を体験させたり、あるいは学校の制度自体を古い軍隊のような規律で縛るといった話はたまに見聞きするが、ならば入院生活の体験をカリキュラムに組み込む動きがあっても良さそうな気がする。

 この「入院生活義務教育化案」は、以前にもブログに書いたし、知人等に話したこともあるのだが、今のところ賛同も批判も特には得られていない。ろくなアイデアではない証拠かもしれないが、個人的には一般的な幼稚園で3~4年過ごすより有意義ではないかと思っている。少なくとも、成人病の予防効果はありそうである。

保育園義務教育化

保育園義務教育化

  • 作者:古市 憲寿
  • 発売日: 2015/07/01
  • メディア: 単行本
 

 

諦めなければ叶っていなくても叶ったと錯覚し易くなる

 「異星人は存在する」と強く信じている者は、たとえそれが実際にはただの鳥だったとしても、何かよくわからないものが飛んでいるのを目にすれば異星人の乗り物としてのUFOだと確信し易くなる。

 NHKの『最後の講義』でみうらじゅんが説いた「走馬灯を盛る」という話にも繋がるが、誇大妄想や幻覚でも構わないのであれば、たしかに「信じ続けること/諦めないこと」によって夢が叶う確率はぐんと上昇するだろう。

 眠っている間に見る夢の中の1時間は実際には数分程度というのもよく聞く話で、もし今際の際に一生分の幻覚を見ることができるのなら、生きている間に理想の自分史をしっかり構築しておくことで、みすぼらしい現世への執着など綺麗に捨て去り、最高の気分で逝くことも可能かもしれない。エンディングノートよりも早い段階から、この偽自分史の制作には着手しておくべきだろう。なるべく精巧に書き上げ、熟読し、脳みその奥底まで染み込ませなければならない。理想の走馬灯のためには現実での努力など二の次である。

 問題は死ぬまでの間に何度も我に返って虚しい気分に陥らねばならないことだろうか。その度に死にたくもなるだろうが、刷り込みの中途半端な状態では現実だけでなく走馬灯もみすぼらしいものになってしまうだろう。理想の走馬灯への道は険しい。

 そう考えると、理想的な(架空の)走馬灯を見るのにも、それなりに現実を楽しく生きなければならない気がしてくる。もしくは、生きている段階から架空の自分史を信じ込むかだが、それはさすがに危険であろう。じゃあ結局、八方塞がりじゃねえかと言いたくなるような状況にある者も少なくないだろうし、それこそ死んでしまいたくもなるだろうが、やはりそれでは現実も走馬灯も惨たらしいものになってしまう。

 さて、どうしたものか。結局、死ぬまで考え続けて、走馬灯すら「理想の走馬灯を見るための方法を考え続ける自分」で埋め尽くされているかもしれない。