『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(57)

 ビデオゲームの企画に携わっていた頃は、雨に濡れてシャンプーの消費量を増やすのが嫌で頻繁にタクシーを利用していたが、それ以降は目にすることすら滅多になくなっていた。単に意識を向けなくなっていただけでもあるが、7歳の頃に見た戟津味屋前の自動車事故も多少は影響していることだろう。母親の胎内にいる頃に追突してきたのは郵便局員で、高校への通学時に衝突してきたのは自衛官だった。自衛官が詫びに持ってきた菓子折りは地元の人気菓子店のもので、3歳の従兄弟が紙飛行機のアニメが流れる子供の歌番組の放送中に「どうしても食べたい」と泣いてねだった菓子が3つ入っていた。既に従兄弟も中学生になっており、仏壇に供えられた菓子を持ってきてしまい、母親に「なんなんさん、かわいそう」と言われ落ち込んでいた頃の気持ちなど欠片もなくなっていたので、わざわざ届けに行く必要もなかったが、私はバターの香りが強すぎる菓子を美味しく頂けるような身体ではなくなっていた。

 市販の食品に小さな虫が混入していたところで自分は気にしないと自慢気に語る男がキネマユリイカ駅近くの交差点で腸の大部分を晒してみせた時、男の太腿の割れ目から毒蟲の類がうぞうぞとアスファルトの隙間へ這い込んでいくのを山上と仲の良かったハチカブリが携帯電話のカメラで撮影していた。お嬢が毒蟲の通り道に塩素を混ぜた消毒液を撒いてくれなければ、やつらの神様のために用意した石灰も倍以上必要になり、私の罪滅ぼしの作業は更に困難なものとなっていたことだろう。かつてK氏は羊羹に混入した爪の切れ端が犬アイコンの中年男のものだと突き止めていたので、お嬢の対応も早かったのだ。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(56)

 ナイトウセイイチ氏は同郷の映画作家・オルガバタ氏の監督作『人型幕の内弁当殺人未遂』を酷評しており、専門学校近くの居酒屋で酔うたびに「ロケハンは良いが、脚本が駄目だ」と繰り返した。K氏はその姿を見て「アルコールリピート」と呟き、喫煙所と化していた非常階段の下で写真に写る顔を焼き消した。私は非喫煙者だったが、K氏らが集まる非常階段の下に混じり、焼き消す顔たちの選定に協力した。髪を長くしていたため、煙の臭いが染みつくのは不快だったが、愛用の入浴剤を使った湯に朝晩じっくり浸かることで対処した。しかし、血塗れになるまで身体を洗っても、1時間も経てば不安で仕方なかった。おかげで腕も脚も傷だらけで、アガサ監督からは「それを撮って編集すれば立派な作品だ」と言われたが、自分の身体は否定的な意味においても蠱惑的と呼べるものはないと思い、結局は石灰で腐臭を消す作業を続けながら、彼らとは距離を置くようになった。幸い、惜しむ声は噂ですら耳にしたことがない。

「パパの引き出しにしまったままの黙示録、開示されて大慌て」

 7歳の自分が眠気と闘っている時に夢想の中で響いた声を、玩具売場の広いデパートで誰かの子供が発している。見たこともなかったが、おそらく同期のシムイ君とナカダルマさんの子供だと察し、階段を使って必死に1階まで駆け下りた。 デパートの出口にはタコ焼きとお好み焼きの屋台があり、容器こそ3歳の頃に母や伯母が買ってくれた時と同じものだったが、いつの間にか当たり前のようにマヨネーズがかけられているようになっていた。それを喜ぶ2014年の子供を見て、余計に腕の傷が広がったため、消火器裏の包帯も拝借せざるを得ない。消火器は長年手入れもされずに放置されていることが多く、その裏に常備された包帯も衛生状態が良くないものがほとんどだが、幸いにも傷を悪化させそうな代物ではなかった。元のガーゼの上からきつめに縛り付けて血の拡がりを防ぎ、腕が壊死してミイラ化するのを想像しながらタクシーの空車を祈った。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(55)

 ニエの家の三男が、道の駅に設けられた小さな滑り台で延々と遊び続け、叔父らしき男性に「置いて行くぞ」と言われているのを見かけたこともあるが、なぜか私は自分の記憶のように思えてしまい、過去に戻れない恐怖に耐えられず、脳が傷つくのも恐れずに頭を強く振ったものの、治まることはなかった。30メートル近い巨大なゲジのような怪物が市役所を覆うように張り付いているのを誰も気にしていないことからもわかるように、私が悩まされているような症状は、結局のところ、なるべく人目につかずに丘の上の病院の処方薬で軽減するほかないようで、実際怪物は今のところ誰も襲っていないのである。

 キネマユリイカ駅の地下で、横暴な先人たちからの仕打ちによって将来を奪われた若者の乾かした手首を栄養源に成長を続けるやつらの神様についても、気づいていたのは山上たちくらいのもので、役に立てなかった私は真夜中の駅で腐臭を消すための石灰をこっそりと穴に注ぎ込むことしかできなかった。決して治安が良いとは言えない地域だが、深夜のキネマユリイカ駅には、騒ぎが起こせるほどの人間がそもそも集まらず、どちらかといえば霊感のない自分でさえ、人ではない何かの気配を感じてしまうような空気があった。実際、石灰はやつらの神様に用いているのだから、その予感も間違いではない。腐臭を消し去るためには、卒業後3年半ほど石灰を注ぎ続けなければならず、その間に台所の壁には小さな穴が開き、備え付けのエアコンも壊れ、酷暑の日には保冷剤を身体のあちこちに押し付けてやり過ごすしかなくなっていた。ナイトウセイイチ氏のアパート前ではヒアリがゴキブリの死骸に群がっていた。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(54)

 従兄弟は遊園地理論の誰かが言うような「ある種の子供」ではなかったのだろう。私が歳をとるにつれて、あの日のメリーゴーランドやそれに近しい雰囲気のものを「不気味だからこそ惹かれる」と感じるようになったのに対し、従兄弟は単に遊園地を子供っぽいものとして見下げるようになっていった。従兄弟が遊び相手にしていた半野良の猫リビは、どちらかといえば私の傍でじっとしていることが多かったのだが、従兄弟の忘れた鞄を届けに行った時、偶然出くわしたリビは突然、私の左脚に噛みついて離れなくなった。半野良の雑菌が恐ろしくなって、口を無理矢理こじ開け、払い退けて逃げ出した。リビとはそれ以来、なるべく出くわさないよう気をつけたが、半年ほど経った頃、小麦の乾燥工場の裏で息絶えているのを見つけた。母が後で埋葬したらしいのだが、その場所はわからない。従兄弟に原因があるのではないかと思いつつも、猫の祟りが怖く、自分にも問題があったのではと10年近く怯えた。

 狐を死なせた男が亡くなった時、男の娘が狂ったように泣きながら「連れていかないで」と叫んでいたという話は、小学3年の時に担任から聞かされた。しかし、仮に自分が連れていかれても、おそらく自分の死を悲しんでくれる者もいないだろうと思いあたり、祟りの怖さは消えたが、全てが虚しくなった。小学1年の冬、凍った川に落ちて担任の信用を失ったモウダは、すでに自分の恥ずかしい記憶など忘れ去っていたようで、掃除の時間にモップを奪い取ることに躍起になっており、私はそんなモウダの姿を見るたび、腕に爪を突き立てて苛立ちを抑えた。青い血管が飛び出ても誰も気にかけないと分かっていた。モウダの父は品のないスポーツカーを乗り回すような人間で、通学路の桜が散った一因でもあった。タッちゃんの家の飼い犬が発煙筒を咥えてモウダの父の車の下に潜り込み、ニエの家の“三十五”が廃油をかけて消毒したのを見た時、私以外の何人かが喜びを隠さずにいたのは、生涯屈指の嬉しい記憶である。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(53)

 私が高校に入り、ある程度自由に出歩くことが容易になっても、地元には既に喫茶店がほとんどなくなっていたので、一人氷を噛んで過去ばかり思いだし、人前での落涙を必死に耐える心配はなかった。代わりに学生服の暑苦しさで頻繁に鼻血が出た。恥部と捉えられがちな部分の出血だが、誤魔化す術もない。人前での鼻血と頼れる者がいない状態での忘れ物は、学生生活を終えてからも頻繁に夢に見るほど怯えていたようで、強迫性障害の引き金とも考えたが、保育園の連絡帳からも兆候を察することができた。タケチ兄ちゃんのこともありながら違法な薬物に手を出さなかったのは奇跡的だと医者は言った。

 はじめて丘の上の病院を受診する前日、地区会館の屋根の上から恐ろしいほど肥満体の女が、こちら側に向かって突進してくる悪夢によって飛び起き、真夜中にシャワーを浴びなければならないほどの冷や汗をかいた。悪夢にうなされやすいことは伝えたが、その内容までは話す気になれないままである。見知らぬ墓石の前で両親に「もう死んじゃうの?」と繰り返し尋ね続ける記憶も、そもそもが夢か現実か曖昧になるほど幼い頃のものなので、今となっては確認しようもない。自宅の階段から転げ落ちて、仰向けになったまま、わけもわからず階上を眺めていた記憶だけは親に確認することができた。教育テレビで放送された歌番組でのメリーゴーランドの映像がなぜか不気味に感じ、見たがる従兄弟を突き放して部屋から逃げ出したのも同じ頃で、そもそも遊園地には、ある種の子供を不安に陥れる力があるらしいと後に耳にしたが、自分を含む「ある種の子供」が何なのかを知ることはできずにいる。

ひきがたり・ものがたりVol.1 蜂雀

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(52)

 平日に暇な時間ができても、日中のテレビは大半が下世話でやかましく、かといって教育テレビは番組自体が様変わりしていても、根底に流れるものは学校すら通わずに済んでいた頃と変わらず、すぐにいたたまれなくなるであろうことは容易に想像できたので、人目を避けつつも外出せざるを得なくなる。その日は、レンタルショップで不祥事を起こしたアーティストの作品が廃棄されていないかどうか確認に出かけ、特に問題もなく「こ」の棚に、その他大勢として紛れ込んでいたので、商品を眺めつつ周りのまばらな客を観察していたが、聞き覚えのある誰かの「あったよ!あったよ!」という声が聞こえた。小学校中学年頃の自分の声に似ているが、あくまでも自分自身に聞こえている声なので、録音された自分の声を聞くような不快感がない。「顔と声が合っていない」というダマヤの指摘が、いずれかは褒めてくれているのか、はたまた全てを貶されているのか、後者にしか思えない私は結局耳を塞ぎたくなる。おそらく父親と会話しているらしい聞き覚えのある誰かの声は、その後に振りかかかる苦悩は勿論、当時の休日以外での悩みさえ一時的に忘れ得ているようで、私はいくら頭を振っても喉が詰まり、急いで店を出るしかなかった。高田渡の「ブラザー軒」まで思い出していれば、頓服薬を服用していただろう。

ゴールデン☆ベスト

ゴールデン☆ベスト

Amazon

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(51)

 小鬼に怯える生活は6年ほど続き、注意力も損なわれ、最寄のスーパーが不衛生な原因がそのような環境によるものだと気づくのすら遅れた。傷んだバナナや惣菜も返品する気力を失い、真夜中に土のある場所を求め彷徨い、秘かに埋めることしかできなかった。そして、南瓜はさらに香草に圧力をかけていた。その頃、地元ではタケチ兄ちゃんが違法な薬草に手を出して3度目の法的反省期間に入っていたが、キョウスケ君の弟から意識を奪った者や9年かけて同級生を何人も窒息させた連中は無神経さゆえに順調に仕事をこなしており、大きな保健室に並ぶ大量のベッドが傷んだ野菜で埋まっていくのを幻視した。それはヘンリー・ワイアットのファンであった留学先の青年の家で観たビデオアートにそっくりな光景だと気づくのにも数カ月を要し、自分の身体がより憎らしく思えて、風呂場で今まで以上に皮膚を削り落としはじめることのきっかけでもあった。老化以外の理由で身体が縮んでゆく感覚にも苛まれた。

 顔を見かけることもなくなった同級生たちのように、大半の過去を思い出せなくなっていれば、ここまで皮膚を削り落とすこともなかっただろうと悔しく思うも、すぐに4歳の頃、一度だけ親に連れて行ってもらった食品売り場に隣接したアイスクリームショップを思い出してうずくまることになる。隙をついて蘇ってくる記憶には、強めに頭を振って抵抗する他ないが、そのたびに寿命と必要な知識を失っている気がしてならない。かと言って、記憶に無抵抗でいれば、二日ともたないであろうことは明白で、せめてもの腹いせに思いつく限りの憎い相手の名を叫びながらパセリ畑を荒地に変えていた。