『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(38)

 学校祭最終日となる翌日の朝、書いた覚えのない「夢に出てきたカミサマは 髭を生やしたジャンキーで 俺はエドミーあんたもどうだい 笑ったままでニヤリと言った」というメモを日記帳に挟み、珍しくベーコンと共に焼いた目玉焼きの出来具合を眺めながら、雨天中止の連絡を期待していた。慣れないベーコンは焦げ目をつけすぎていたが、校舎の向かいにある駐車場で刺殺体が発見されたことを連絡網によって知らされ、普段よりも更に念を入れて歯を磨く時間も確保できるだろうと考えた。それでも学校祭は強行されたようだが、不参加を咎められることもなく、食器も丁寧に洗うことができた。

 月曜日の午前中にぼんやりテレビを眺めるのも滅多にないことだったので、ローカルタレントの原田クミンが全く面白くもない寸劇CMの中で叫んだ「愉快が不快であの世にご期待!」という台詞が、やけに頭に焼きついてしまったりもした。そして、半日かかってクミンの動く姿を見るのも初めてだと気づいた。ヒメグサさんは、いまだ原田クミンの動く姿も声も知らないままだが、「亀のロンサム・ジョージを撫でられたのだから、全く問題ありません」と答えた。そもそも、ヒメグサさんの興味はネラティック工業の近くで育った不思議な双子姉妹に集中しており、翌月の取材旅行も姉妹に関する情報収集のためだった。

 津張悦部の海岸沿いに建てられたネラティック工業の研究所は、次世代エネルギーの研究という漠然とした情報しか公表されておらず、どちらかといえば温暖化などの影響と思われる周辺の環境変化さえもネラティック工業が元凶だと邪推する声もあり、30年ほど前から抗議活動が続いていた。漁業中心だった津張悦部の町にネラティック工業が持ち込んだ大きなリンゴの木は、健康的な生き物たちをはじめとする豊かな自然を呼び寄せ、私には以前よりも美しい景観に感じるのだが、一部の住民にとっては、知恵の実さえも不安をもたらす部外者に映るらしく、何度か伐採の危機を迎えたこともあった。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(37)

 学校祭2日目には仮装パレードなどという恥知らずな催しが行われるが、通院日がずらせないと言い訳し、参加は拒否した。薬局で安定剤を処方してもらっている間、別の患者が受付の女性に「一羽の白鳥がシベリアに向かっているそうです」と話しかけていたが、「……そうなんですか」と答えるほかない。自分よりも症状の重そうな者を見かけると、なんだかいたたまれないような気分になり、通常量の処方薬では足りなくなることがある。頓服薬をもう少し多く求めておくべきだったと考えていると、整理してあった財布の小銭の列を崩してしまい、会計に余計な時間をかけてしまった。尚更、多めの薬が必要だ。

 仮装パレードの列と鉢合わせないよう湿度の高い裏通りを進み、近寄り難かった古書店に初めて足を踏み入れると、想定よりは綺麗に並べられた中古VHSの棚に『愛と希望の街』のようなタイトルを見つける。多めに服用した薬のせいで、はっきりと確認することはできないものの、手に取る必要は感じた。VHSは上・下巻で、作品自体は1979年の日本製らしい。画像処理で異様な色彩となったきのこ雲がパッケージになっている。黙示録的なイメージの壮大な実験映画といった趣だ。下巻のパッケージ裏には80年代の象徴として「はぐれメタル」が小さく印刷されており、製作年と合わないが何故か気にならない。解説に「はぐれメタルの放つ熱光線が…」と書かれているが、その先は安定し過ぎた精神状態では判読することができなくなっていた。持ち合わせが足りているかどうかも確認できそうになかったので購入は諦め、今では古書店の場所すら思い出せない。幻のビデオとして記憶の片隅に居座り続けるだろう。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(36)

 信頼できるテレビ局では、ちょうどゴルフ場のようにバンカーや池が設けられた球場で行われる野球中継が放送されていた。使いものにならない選手が動員されて催される見世物で、ボールを追いかける勢いのまま池に激しく転落する姿は痛快だが、動員されてしかるべき数名が見当たらないのは不満である。プロ野球の人気低迷を打開しようとする一連のイベントには、引退直後の名選手を集めて「いかに短い時間で試合を終わらせるか」という実験もあり、ちょっとした移動にも全力疾走する姿は滑稽だったものの、通常の試合の長さというものも改めて浮き彫りにされ、人気回復の効果は得られなかったという。 

 球場の池には大量のボールが沈んでいて、転落した選手のなかには身体をボールに絡めとられて浮いてこなくなった者もいる。2年に一度、ボールごと池の水は綺麗に吸い取られるが、選手の身体でホースが詰まるなどということもない。吸水の勢いとボールによって攪拌されるのだから当然のことだろう。彼らの身体はアスリートの割に溶けやすく、作業員たちは心おきなく乱暴に吸引作業を行うことができた。時折、溶け残った指や臓器が浮き上がるたびに、「やっぱり脳味噌は残っとらんな」と言って笑いあう声が聞こえる。バイトで手伝った際も、少し脂臭いこと以外には苦痛に感じる要素もなかった。高校では学校祭の準備が始まっており、他の連中が苦手とする作業だけは得意だったため、結果的に私の作業量は多くなった。しかし、私が苦手とする他の連中の好む作業中、邪魔にならぬよう端でおとなしくしていると「さぼっていないで働け」と怒られるので、バイトに費やす時間を増やすことにした。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(35)

 そんなタミヤの習性は、どうやら祖父譲りのものだったらしく、地域中から嫌われていたタミヤの祖父が自宅の便所で真夜中に発作を起こして亡くなった際、朝まで家族の誰も気づかなかったことが知れ渡っても不審に思う者は一人も現れず、タミヤの同級生である私たちなどは、ある種の希望さえ感じた。イギードニア共和国で叛乱軍に捕まり、拘束された市民が一人ずつ射殺されるなか、自分の番が近づき「せめて処刑前に覚醒剤を打ってくれ」と頼むと面白がられ、屈強な兵士に「あなたに首を絞められる方が楽に死ねそうだ」と伝えると更に気に入られ命拾いした直後だったので私も気が大きくなっていたのだ。

 普段なら畏れ多くて断ってしまうヒメグサさんからのお誘いに乗ったのも少々大きめになっていた気分のせいで、彼女が自身の個展でゴッホのように削ぎ落としてみせた耳を展示台に置き「タイトルはなんでしょう」と問いかけてきても、落ち着いて「ブルーベルベット、置くだけ」と答えることができた。個展会場ではヒメグサさんが養子に迎えた図鑑少年の空流(くうる)くんと妹の風流(ふうる)ちゃんが案内役を務めていて、私は退席する際に風流ちゃんから「しゃかりき親父は定年退職即窒息」と書かれた色紙を頂いた。入口の案内板も風流ちゃんの手書きで、やる気のある大人を良い具合に遠ざけていた。

 やる気に満ちた大人たちは、高校生によるソフトボールの試合に集っているようで、試合会場近くの喫茶店や美容室の従業員は迷惑そうに氷水を撒いていた。アイスコーヒーを頼めば喜んでもらえるだろうが、ビタミン欲しさにオレンジジュースを注文する。バイトの女性は1日中窓を拭くことになるだろう。

 

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(34)

 私は下北昇平と母校をめぐる一連の出来事をタソガレさんからの手紙によって知ったが、「ある程度の胸がすく思いというものは味わえたものの、歯磨きのし過ぎによる右肩の鈍痛が気になって見も心も健康体からは程遠いです」と返事を書く他なかった。見越したようにお嬢からは注射器の画像が送られてきた。札幌で合法試験薬の勧誘を受けたことはあっても、注射器の世話になったのは合法の病院だけで、回数は多くとも警察に知られてまずいようなことは何もないとお嬢に返信し、裏庭から禿山を登り、山上のいる方角に向かって「山塚アイが火炎瓶を投げてくれれば僕は生まれて来ずに済んだのにな!」と叫んだ。

 札幌のアパートで隣室だった自称・サービス業のお姉さんは、10歳までヴァージニア・ウルフを架空の人物だと思い込んでいたのが最大の恥だと語っていたが、小学1年のタミヤが四季の順番を「春秋夏冬」だと言い張ったのとは比べようもない。しかし、お姉さんにとって大きな恥であることは理解できた。それでも自分のメールアドレスに「ウェストヴァージニアウルフ」という文字列を組み込むあたりに、お嬢がお姉さんを慕う理由の一端が垣間見える。タミヤは幼児の頃から変わらず、自分の間違いは決して認めようとせず、「春秋夏冬」の際も床を激しく踏みつけて脅すようにまくしたてていた。すぐに誰もがタミヤに対しては意見も説明も無意味だと判断し、勝手に思い込ませたままにしておくようになったが、授業や大人たちの言動によって自分の誤りに気付くと、過去の振る舞いなどまるでなかったかのようにしれっとまた威張りはじめる図太さは、もはや不気味で恐ろしくもあった。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(33)

 「人間の内面を深く掘り下げる」という指針を持ちながら、「B型の人間とは合わない」などと酒の席で宣った専門学校の担任も含め、私が憎く思った教員の多くは命を落としているのだが、最も憎い相手は今も平気で生きているので、私に妙な期待を寄せていたのは退学した下北昇平だけだった。卒業からしばらくして、下北昇平が担任の骨を拾っていたらしいと山上から聞いたが、それもおそらく私のアドバイスのせいで、タソガレさんには念の為、高値のソーダ水を贈っておいた。その甲斐あってか、タソガレさんの彼女の背中で新種の鳥が求愛のダンスを踊る動画が、3年ほど経って送られてきた。

 私やタソガレさんが専門学校周辺のあれこれから距離を置いている頃も、下北昇平はひとり、講師たちが培養しているという“へいま様”を白日の下に晒し、高濃度の消毒液を注いで退治しようと躍起になっていた。しかし、結果的に成し遂げたのは下北を馬鹿にしつつ面白がって追いかけていた山上の方だった。山上は下北昇平が闇雲に叫びまわるのを傍目に、専門学校の問題点を見つけ次第、非常に現代的な方法で匿名告発し、そのうちに“へいま様”は萎みきり、代わりに岸田森勝新太郎植木等が『ジーザス・クライスト・スーパースター』のラストのように歌い踊るという痛快な大団円へと導いてみせた。

 

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(32)

 小学生の頃の従兄弟は、将来の夢に「情報屋」と書いて提出し、職員室に呼び出されるような子供だったが、ベースギターを覚えてからは不思議と学校の成績も伸びていった。再び窓の外に目を移すと、アスファルトに点々と人骨らしき白い欠片が張り付いていたが、産地があれでは拾い集める必要もなかった。知人のうちで骨片をお守りとして持ち歩くのは、恥じらいの四戦士の一人であるタソガレさんだけだったが、風習自体は幼い頃から知っていた。ケータローステップの新曲はスパイダースの「バン・バン・バン」そっくりだったが、女性教師産の骨片を贈ったところで彼らの作曲能力が改善するはずはない。

 タソガレさんの骨片は小学校の同級生産で、7歳のタソガレさんが下校の道順を間違えた時、「ほら、また違う方向に行く。あいつはいつもそうだ。方向音痴すぎるだろ。それで良いお兄ちゃんのつもりでいるんだ」と馬鹿にしてきた酪農家の息子のハダタノ・マキヒロという名前の少年だった。無論、7歳児の骨だ。杵真丘をロケハン中に駅の動く歩道を歩き過ごし、仕方なく古いパチンコ屋を改装した民宿に泊まったのも、タソガレさんのお守りがあったからで、骨片もなく見知らぬ民宿で夜を明かせるほど私もタソガレさんも世界が平穏だとは思っていない。そんな我々にはロケハンも撮影交渉も向いていなかった。