2022-07-01から1ヶ月間の記事一覧

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(59)

奴が無事に家へ戻った数日後、私が見た池には魚の姿は見当たらず、成人男性の親指ほどの大きさの真っ白いなめくじが水面を蠢いているだけだった。祖母の手入れが行き届きにくかった遠い庭の大きな石を持ち上げると、あの真っ白いなめくじはよく見つけたが、…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(58)

K氏と5年ぶりに電話したのは、そういった毒蟲まみれの記憶とは関係なく、ストロマトライトに魅せられた少年を追うテレビドキュメンタリーでK氏の名前をスタッフクレジットの中に発見したからで、共に嫌悪していた社会派気取りの出鱈目ドキュメンタリーに参加…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(57)

ビデオゲームの企画に携わっていた頃は、雨に濡れてシャンプーの消費量を増やすのが嫌で頻繁にタクシーを利用していたが、それ以降は目にすることすら滅多になくなっていた。単に意識を向けなくなっていただけでもあるが、7歳の頃に見た戟津味屋前の自動車事…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(56)

ナイトウセイイチ氏は同郷の映画作家・オルガバタ氏の監督作『人型幕の内弁当殺人未遂』を酷評しており、専門学校近くの居酒屋で酔うたびに「ロケハンは良いが、脚本が駄目だ」と繰り返した。K氏はその姿を見て「アルコールリピート」と呟き、喫煙所と化して…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(55)

ニエの家の三男が、道の駅に設けられた小さな滑り台で延々と遊び続け、叔父らしき男性に「置いて行くぞ」と言われているのを見かけたこともあるが、なぜか私は自分の記憶のように思えてしまい、過去に戻れない恐怖に耐えられず、脳が傷つくのも恐れずに頭を…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(54)

従兄弟は遊園地理論の誰かが言うような「ある種の子供」ではなかったのだろう。私が歳をとるにつれて、あの日のメリーゴーランドやそれに近しい雰囲気のものを「不気味だからこそ惹かれる」と感じるようになったのに対し、従兄弟は単に遊園地を子供っぽいも…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(53)

私が高校に入り、ある程度自由に出歩くことが容易になっても、地元には既に喫茶店がほとんどなくなっていたので、一人氷を噛んで過去ばかり思いだし、人前での落涙を必死に耐える心配はなかった。代わりに学生服の暑苦しさで頻繁に鼻血が出た。恥部と捉えら…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(52)

平日に暇な時間ができても、日中のテレビは大半が下世話でやかましく、かといって教育テレビは番組自体が様変わりしていても、根底に流れるものは学校すら通わずに済んでいた頃と変わらず、すぐにいたたまれなくなるであろうことは容易に想像できたので、人…

『今日までの夜に見た夢に彩られた走馬灯にも似た自分史』(51)

小鬼に怯える生活は6年ほど続き、注意力も損なわれ、最寄のスーパーが不衛生な原因がそのような環境によるものだと気づくのすら遅れた。傷んだバナナや惣菜も返品する気力を失い、真夜中に土のある場所を求め彷徨い、秘かに埋めることしかできなかった。そし…